「こんなにも愛してくれた人がいた」孤独死した67歳の弟は寂しい人生? 姉がたどり着いた意外な真実
洋子さんは映画を見終えた後のように、雪道を寄り添って歩く二人の姿が頭からいつまでも離れなかった。人嫌いで気むずかしい弟の、まったく知らない優しい一面に触れたような気がした。 ▽「きっと幸せだった」 手紙の記述などから、幸恵さんは北海道岩内町の出身だと分かった。洋子さんから話を聞いた私が調べると、実家に住む70代の義姉と話をすることができた。実家はかつて、時計屋を営んでいた。 義姉は詳しくは語らなかったものの、家族内でのもめ事があり、幸恵さんが町を出て札幌で暮らし始め、疎遠になっていったと教えてくれた。幸恵さんが入院したころは、この義姉の夫が体調を崩し、見舞いにも行けなかった。遺骨については「うちもそういう状態だったし、引き取るわけにはいかなかった」。数年後、その夫が亡くなり、時計屋の看板を下ろした。 義姉も、幸恵さんが独りで亡くなったと思っていたと言う。雅樹さんの存在を告げると驚いた様子で言った。
「(一緒にいた)男の人がいたと聞けて、良かったです」 洋子さんは現在、雅樹さんの位牌の隣に、幸恵さんの遺品の傘を遺骨代わりに安置している。二人は雅樹さんの姉のもとで数年ぶりに一緒になった。 「幸恵さんが存命中、弟を愛してくれたことに私は感謝でいっぱいです。幸恵さんの存在を知る前は、弟の人生は彩りもない寂しい人生だったと勝手に思いこんでいました」 司法書士の増田さんは、洋子さんと行動を共にするうちに、孤独死に対するイメージが変わっていったという。 「これまで何度も高齢者の孤独死事案に関わってきて、そのたびに寂しさや悲惨さを感じてきました。だけど今回の出来事で、第三者が一方的に悲しいなんて決めつけることはできないなと思うようになりました」 弟の足跡を追う旅を終え、洋子さんは今、こう感じている。「浴室でひとり、命が尽きた時の弟に思いをはせると、やはり私はつらい。でも、弟には愛する人と過ごす時間があった。きっと幸せな人生だったんです」