「こんなにも愛してくれた人がいた」孤独死した67歳の弟は寂しい人生? 姉がたどり着いた意外な真実
残された手紙は100通以上。雅樹さんから送ったものはほとんどなかったが、けんかの後に交わしたとみられる文章が見つかった。 「実はとても厳しい第一声を予想していたので、大切な人という優しい字を見てうれしかったです」 雅樹さんも心のこもった言葉をつづっていた。 年に数回だけ会い、北海道や関西を旅行する関係。時には、雅樹さんがロックやジャズ、クラシックなどさまざまなジャンルの音楽を吹き込んだテープを送り、幸恵さんはセーターやマフラーを編んでプレゼントしている。クリスマスカードやバースデーカードの交換も、毎年欠かさなかった。 登記簿によると、雅樹さんは2008年7月に札幌の自宅を購入している。二人はそのころ一緒に住み始めたとみられる。 洋子さんは、異郷で孤独に生きたとばかり思っていた弟の知られざる一面に驚き、手紙を読みふけった。「弟の人生は寂しくなんてなかった。こんなにも愛してくれた人がいたんだ」。洋子さんを含め家族は誰ひとりとして気づいていなかった。
▽雪道を踏みしめて 遺品からは請求書も見つかった。2018年1月の札幌医科大病院のものだ。幸恵さんの入院先だろう。亡くなったのもそのころだったと推測された。自宅の購入年から数えると、二人が一緒に暮らせたのは10年ほど。 「幸恵さんが亡くなって北海道に住み続ける理由を失ったから、関西へ戻ろうとしていたのか」。洋子さんは弟が生前「大阪に転居する」と言った真意を、やっと理解できた。 洋子さんはその後、幸恵さんと姉妹弟子の女性とも会うことができた。彼女は、雅樹さんと幸恵さんが最後に会った場面を語った。雅樹さんが教えてくれたという。 冬の日だった。幸恵さんは入院先の病院から一時帰宅し、「家のお風呂に入りたい」と言ったが、病院に戻る時間が迫っていた。外に出ると、降り積もった雪で辺り一面が真っ白。雅樹さんは、病身の幸恵さんが歩きやすいよう、彼女の少し前に立ち、一歩一歩、靴で雪道を踏みしめながら歩いた。そうしてタクシー乗り場まで一緒に行き、見送ったという。