<チ。 ―地球の運動について―>タイトルの由来は? 地動説を題材にした理由 作者・魚豊に聞く
三島由紀夫から受けた影響が「チ。」に結び付いている部分もあるという。「チ。」においても、地動説の研究のために命を懸ける人々が登場し、生まれてきた理由、死ぬ理由を問う場面が描かれる。魚豊さんは、自身が強く引きつけられた哲学、生と死という題材を「『チ。』で全力で出力できればなと思って描いていました」と語る。
◇地動説を巡る“勘違い” フィクションだからこその説得力、感動
「知性と暴力」を描こうとした魚豊さんが、それに合うモチーフを探した時、「ぴったりなんじゃないか」と選んだのが地動説だった。「チ。」は、C教が力を持つP王国が舞台で、宇宙の中心は地球だとする天動説が信じられ、それに背く地動説は異端として迫害されている。史実として、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイは宗教裁判で有罪となっているが、実は、地動説は迫害されていなかったという説もあるという。魚豊さんは、そうした地動説にまつわる“勘違い”に注目し、フィクションとして描くことにこだわった。
「地動説を選んだのは、迫害された歴史がなかったというのが面白かったからです。それは勘違いしているってことですよね。その勘違いは天動説に対しても言えることで、人間は世界を勘違いするんだけど、その勘違いからしか何も始まらない。迫害されていなかったのに、迫害されていたと思われている、その間に物語の入る余地がある。以前、佐藤康邦の岸田劉生論の中に『あらゆるものの始まりは勘違いだ』とする文章を読んだことがあるのですが、ある勘違いに傾倒して、魅力を感じて暴走することから始まっていて、それがない研究や歴史はないと。それは『チ。』を描いた後に読んだのですが、その気持ちで描いていたなと思ったんです」
勘違いから出発した理論の真偽はさておき、納得できてしまったとしたら……。「チ。」でも、登場人物たちが地動説に触れ、禁忌、異端だと思いながらも、あらゆる理由から納得してしまう描写が多く登場する。