なにわ虎男子 阪神D4位・町田隼乙 母の助言で決断 独立Lから挑むプロへの近道「結果的に大学に行くよりいい形に…感謝」
阪神の新入団選手にスポットをあてた連載「なにわ虎男子」。ドラフト4位・町田隼乙捕手(21)=BCL埼玉=の第2回は独立リーグへの挑戦。プロ野球選手になるため、野球に没頭するために選んだ道。その裏には両親の後押しがあった。(随時掲載) 2021年の秋、18歳の町田は悩んでいた。光明相模原高では強肩強打の捕手として名をはせ、複数球団から調査書が届くも、ドラフト会議では指名漏れ。プロ野球選手になるために、どの道に進むべきか選択しかねていた。 強豪校から有力選手が集結する大学野球に憧れはあった。一般的には進学が王道。一方で、光明相模原高の指導者からは独立リーグの話をもらった。どちらに進むのがベストか-。母・秀子さん(54)は振り返る。 「大学に入ったら勉強もしなきゃいけないし、ただ野球だけができるわけではない。プロ野球に行きたい、という一つの目標があるのであれば、じっくり野球に打ち込める独立(リーグ)の環境の方が隼乙にとってはいいんじゃないかというのは、私と主人の考えが一致していたんです」 両親に背中を押され、決心することができた。飛び込んだ独立リーグの世界で町田は一心不乱に野球に没頭した。 今年の10月24日。町田は自身2度目のドラフト会議を迎えた。球場にファンを呼び、パブリックビューイング形式でのドラフト視聴。その中に秀子さんの姿もあった。 「もしダメだったらどうしようという思いで駆け付けました。半分期待、半分不安。スコアボードに名前が出て、『4位なんてまさか…』と本当にびっくりしました」 結果的に、進学するよりも一年早い、〝高卒3年目〟での指名となった。あのとき下した決断は間違っていなかったと証明することができた。 「両親のアドバイスのおかげで、結果的に大学にいくよりもいい形になった。感謝しています」 両親の言葉を胸に、夢の実現に向けて野球に没頭した3年間。埼玉武蔵ヒートベアーズにいたからこそ結ばれたかけがえのない縁が、町田の成長を導くことになる。(原田遼太郎)