「謙信公祭」で上杉謙信役に!大谷翔平選手の「ホームラン兜」も作った「甲冑工房丸武」さんの甲冑を身に着けて
◆「越後の龍」と呼ばれた謙信 戦国史に残る有名な戦といえば、織田信長が今川義元を下し天下を轟かせた「桶狭間の戦い」。 西軍と東軍が激突した天下分け目の「関ヶ原の戦い」。 そしてもう1つ、千曲川を挟んで2人の名将が火花を散らした「川中島の戦い」。 その川中島の戦いからさかのぼること20年余り。 長尾虎千代、のちの上杉謙信。 まだ何者でもない12歳の少年であった。 生まれ育った春日山城を離れ、林泉寺に預けられ、経を読み、座禅を組み、兵法を学ぶ修行の日々を送っていた。 中略 そののち元服した虎千代は景虎と名乗り、14歳で初陣を果たす。 栃尾城での勝利を皮切りに20歳を過ぎるころには越後全土を平定。 無敗を誇る青年武将に成長した。 毘沙門天の再来とあだ名されるほど、その武勇は越後中に轟いていた。 関東管領を賜り、上杉政虎と名乗るようになった永禄4年、立ちはだかるは甲斐の宿敵・武田信玄。 北信濃をめぐって互いに城を取り合い、調略を繰り返し、その抗争は激しさを増していた…。 ここから世に名高い「川中島の戦い」が始まっていきます。 戦上手だった謙信は、生涯を通してほとんど負けたことがなく、「越後の龍」「軍神」などと呼ばれていました。 その一方で、「敵に塩を送る」のエピソードのように、敵とはいえども困っている人には手を差し伸べる性格で、自分の欲よりも義を重んじた武将としても知られています。
◆思い出の舞台 朗読劇では、幼少期から川中島の戦い、上杉謙信の塩送りまでを宝塚時代の後輩と演じました。 宝塚を退団したとき、もう男役はやらないと言っていた自分はどこへ行ったのか。 男役は宝塚で終わりました。 もうやりませんと言い切っていた人が、甲冑まで着ようとしていました。 退団して10年の時を経てもくすぶっている男役の血をつくづく感じた2度目の上杉謙信。 楽しかった思い出の舞台です。 そして、突然、思いがけないところから3度目の機会がやってきました。
◆大変光栄な役 先日私は人生で初めて甲冑を着ました。 あの素晴らしく高価な「甲冑工房丸武」さんの甲冑を。 ホームページで何度も見ていた上杉謙信の色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)の立派な甲冑です。 新潟県上越市で毎年行われている「謙信公祭」で今年上杉謙信公をさせていただくことになりました。 本当に人生何が起こるかわかりません。 大変光栄なお役をいただき、身が引き締まる思いです。 精一杯努めさせていただきます。 第99回「謙信公祭」 8月24日に越乃リュウ出陣いたします。 「謙信公祭」についてはまた書かせていただきます。
越乃リュウ