【89歳の美容家・小林照子さんの人生、そして贈る言葉 】苦しいことに直面したときは「受け身」であれ
子どもは冷静に敏感に状況を見ています
「両親が離婚するにあたり、2歳上の兄は跡取りとして父のもとに残り、幼い私と妹は母に引き取られて家を出ました。当時は今よりもずっと離婚した女性への風当たりが強く、母の実家に戻ることもできませんでした。ただ母は大きな病院で看護師をしていたので、実家に戻らずとも生活できたのはよかったと思います。 そして、程なくして父は再婚しました。 いったん母に引き取られた私ですが、もともと大のお兄ちゃん子。母は私たちを引き裂くのはかわいそうだと思ったようで、1年後には私は父のもとに戻りました。いつも『お兄ちゃん、お兄ちゃん』と慕っていましたから。 本来なら私まで手放すのはつらかったと思いますが、母はその後の私の生活のことまで考えて、私を送り出す決心をしたようです。 父の再婚相手は春治(はるじ)という男性のような名前で、その名の印象通り気性が強い人でした。 日本舞踊を習っていて、座敷でよくおさらいをしていた姿を覚えています。そして春治は父との間に子どもは授からず、兄と私の母親になったのでした」 そんな継母である春治さんは言ったのだ。 「本当のお母さんは私で、お乳が出なかったのでトシコさん(実母)に預けていたの。トシコさんは乳母だったのよ。でも、学校のこともあるので戻してもらったの」と。 「実は離婚が決まったとき、実母は子ども3人を呼んで居ずまいを正し、優しい顔で、しかしはっきりとした口調で言いました。 『お母さんとお父さんは別々に暮らすことになったの。でもね、どんなことがあってもあなたたちの母は私だけです。これを忘れないでください』と。 このときの姿と言葉が脳裏に焼きついていたため、継母の言うことが噓であることはすぐにわかりました。でも子ども心に、この人は家族になりたいと思っているからこそ言っているのだろうと察して、反論はせずに黙って聞いていました。そしてその後も、それを信じたふりをしていました。そのせいか、継母は厳しい人ではありましたが、彼女なりの方法で私たちをかわいがってくれました。 子どもって大人が思っているよりもずっと、状況を的確に把握しているものです。 よく大人の事情や仕事のことなどを、子どもに隠してなんとかしようとしますよね。でも、いっそのこと子どもに相談してみてください。年齢にもよりますが、驚くほど冷静な判断とアドバイスが返ってくることがあります。子どもを見くびらないことですね(笑)。 私は常に真実は揺るがない、信じるものは自分の中にあるという信念を持っています。おへその下の丹田に、確固たる揺るがない芯があるのです。 ですから今でも、自分の信じるもの以外、他人の意見に影響されず、『くそ意地を張るところがある』とよく人から言われます(笑)。その信念はこのときに身についたような気がします」 実母はというと、やはり小林さんやお兄さまのことが心配だったよう。 「時々、私たちの学校や家の周辺にこっそり様子を見に来ていました。それを知っていた継母は、私たちと実母が顔を合わせないように工夫していたようです。 大人たちは上手に隠していたつもりかもしれませんが、私は実母の姿を家や学校の近くで何度か目撃して知っていました。でもそれを誰にも言いませんでした」