相川七瀬「3児の母として、歌手も続けながら大学進学。私が勉強をする理由」
◆導かれるように学び始めた そもそも、なぜ私が神道文化学部を受験しようと思ったのかですが、私の実家は、祖父が神社の氏子総代を務めたりしていて、幼い頃から神社やお祭りが身近な存在だったという理由があります。でも神道について本格的に学びたいと考えるようになったのは30代後半になってから。2012年の8月に長崎県の対馬で開催された音楽イベントに参加した際、美しく風に揺れる赤い稲穂に出会って、人生が変わったんです。 古代米「赤米」は稲作のルーツと言われていて、その神事は国や県の無形民俗文化財に指定されています。私は何百年のあいだ地域の人々が赤米神事によって神々と結ばれていることを知り、自然に対する畏敬の念を重んじる伝統文化が脈々と続いていることに感銘を受けました。ところが後継者不足が深刻で、対馬では赤米を耕作している人が一人しかいないと聞いて「えっ? だったら赤米神事も途絶えてしまいますよね!?」って。同時に自分にできることはないかと思い、個人的に手伝い始めました。でもその時はこれほど長く赤米に関わってライフワークになるとは想像もしていませんでした。人生って、縁って不思議だなって思いますね。 赤米神事を伝承しているのは、長崎県の対馬市の他に岡山県総社市、鹿児島県南種子町だということで、その年の10月に鹿児島へ行き、11月に岡山へ行って稲刈りなどに参加しつつ現状を学びました。それぞれの地域で「赤米神事を未来につなげたいですね」と伝えていたところ、「赤米親善大使」に任命され、2014年には2市1町の交流協定が結ばれる運びに。そこから専門家を交えて論議する「赤米サミット」の開催や「赤米子ども交流会」へとつながっていきます。16年からスタートした赤米支援チャリティーコンサート「赤米フェスタ」は、コロナで中止した年もありましたが復活し、今年も開催予定です。 私が赤米に関わるようになって12年になります。当初は強い思いに任せて活動をしていたのですが、やがて知識不足という壁にぶち当たってしまいました。赤米神事は知れば知るほど奥が深くて……。よそ者の私が「こうすればいいんじゃないか?」と思うことがあっても、そうは簡単にいかないことがある。それぞれの地域にはそれぞれの文化があり、言語化できないプライドもある。そこを深く理解しなければ先へは進めないことに気づき、さらに神事の源流を知る必要があると考えるようになり、自ずと神道を祭りを学びたいという気持ちが生まれました。 (構成=丸山あかね)
相川七瀬
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