【連載】田中希実の父親が明かす“共闘”の真実 Vol.2 「オマエが走れようが走れまいがどうだっていい」
田中希実。日本女子中距離界に衝撃を与え続けている小柄な女王。その専属コーチは実父・田中健智である。指導者としての実績もなかった男が、従来のシステムにとらわれず「世界に近づくためにはどうしたらいいか」を考え続けてきた。そんな父娘の共闘の記憶を、田中健智の著書『共闘』から抜粋し、短期連載としてお届けする。 【画像】今年5月25日のダイヤモンドリーグ・ユージンで2大会連続の五輪出場を決めた田中希実の疾走シーン -------------------- あくまで結果論ではあるが、パリに向けてドーハのつまずきは、必然だったのかもしれない。思えば東京では、1500メートルは「おまけ」のように考えていて、5000メートルを中心に取り組んでいたところ、予選敗退を経て、1500メートルの大躍進につながった。人にはよると思うが、彼女の場合、5000メートルの取り組みを重視してこそ、1500メートルの結果につながるのだろう。 仮にドーハで内定を決めていたら、それ以降は1500メートル中心のトレーニングになっていて、結局はパリ本番が薄っぺらいものになっていたかもしれない。ドーハで失敗したからこそ、つなぎの大切さを疎かにした「点」の練習ではダメだと気づき、スピードに加えてスタミナ系を意識した5000メートル中心のトレーニングに立ち戻ることができた。ドーハの敗戦は、自分たちの取り組みをもう一度見つめ直すきっかけになった。そして、希実がユージンに対して怖いけれど逃げずに向かっていけたことは、すべて今の流れにつながっているはずだ。 彼女が後ろ向きになると、私は冒頭のようについ突き放してしまうが、レースに向かっていくのは選手本人であり、横にいる私は何の手助けもしてあげられない。招集所から先は彼女だけの世界で、本人が怖気づいていたらどうしようもできないし、最終的には一人で乗り越えてもらうしかないのだ。だから彼女には寄り添うというより、あえて突き放し、自身と一人で向き合う時間を持たせようとしている。 「オマエが走れようが走れまいがどうだっていい」 「もう自分は見たくないから他のコーチに頼めばいい」 彼女と衝突するたびに、私は何度も直接的で、きつい言葉を投げてきた。ただ同時に、最後の最後には「見捨てない」という気持ちも持っている。だからこそ、ユージンの前日も「彼女の良い気づきになれば」と、ハッサンの記事を託したのだ。 ぶつかり、突き放し、冷静になり、和解する。毎年のように「過去最大級」の衝突を更新しながらも、その繰り返しの連続で、気づいたら5年もの間、ストップウォッチを手に、トラックを走る娘の姿を見守ってきた。 振り返れば、希実は小学5年生の頃は、地元・兵庫県小野市の陸上大会で入賞するのが精一杯。それが6年生の秋には優勝できるようになり、中学生に上がると、兵庫県大会の学年別で1番になったかと思いきや、学年別の全国大会で6位、2年生の全国で4番、3年生で優勝して、今や世界大会の決勝で入賞する域に達している。幼い頃は目立つほど足が遅かった主人公が、どんどん階段をのぼっていき、もがき苦しみながらも、誰も届いたことのない舞台で戦う―彼女のたどってきた道のりは、まるで漫画の世界のようだと思うのだ。 そんな娘のステージアップを、父である私は“一読者”として応援するはずが、思いもよらぬタイミングでコーチを引き受けることになった。実業団選手として目立った成績も残していない、トップ選手を育てたことのない私が、世界を目指す彼女をどこまで導けるのだろうか。初めはそんな不安を抱えながらも、私なりの発想をもとに、彼女の成長を後押ししてきたつもりだ。 海外転戦や3種目挑戦、プロ転向、ケニア合宿……。私たちは従来の日本のシステムにとらわれず、「世界に近づくためにはどうしたらいいのか」を柔軟に考え、前例のない挑戦を重ねてきた。コーチングになぞるような「手本」はなく、レースの結果が出るまでそれが正解かどうかは分からない。それでも、一つひとつのレースで、トレーニングの「答え合わせ」をしながら、手探り状態でここまでやってきた。 彼女にもよく伝えているが、人と違う道を行くのなら、必ずそこで結果を出すという覚悟を持たなければならない。それは選手だけでなく、コーチである私も同じだ。そう思うと、これまでの5年間は、彼女を導くというより、共に向かっていくという表現のほうが正しいのかもしれない。 この本では、私と希実がこれまでどんな道のりをたどり、どんな考えのもと、世界に挑もうとしているのかを描いた。私のコーチング歴はまだ5年と浅く、彼女の競技人生のほんの一部でしかない。パリ五輪以降も、2025年の世界選手権東京大会、2026年の世界陸上アルティメット選手権と、私たちの挑戦は続いていくはずで、これまでの道のりは通過点に過ぎないだろう。それでも、陸上競技に携わる多くの方々にとって、何かしらのヒントになれば幸いだと思っている。 <田中健智・著『共闘セオリーを覆す父と娘のコーチング論』序章より一部抜粋> 田中健智 たなか・かつとし●1970年11月19日、兵庫県生まれ。三木東高―川崎重工。現役時代は中・長距離選手として活躍し、96年限りで現役引退。2001年までトクセン工業で妻・千洋(97、03年北海道マラソン優勝)のコーチ兼練習パートナーを務めた後、ランニング関連会社に勤務しイベント運営やICチップを使った記録計測に携わり、その傍ら妻のコーチを継続、06年にATHTRACK株式会社の前身であるAthle-C(アスレック)を立ち上げ独立。陸上関連のイベントの企画・運営、ランニング教室などを行い、現在も「走る楽しさ」を伝えている。19年豊田自動織機TCのコーチ就任で長女・希実や、後藤夢の指導に当たる。希実は1000、1500、3000、5000mなど、数々の日本記録を持つ女子中距離界のエースに成長。21年東京五輪女子1500mで日本人初の決勝進出を果たし8位入賞を成し遂げている。23年4月よりプロ転向した希実[NewBalance]の専属コーチとして、世界選手権、ダイヤモンドリーグといった世界最高峰の舞台で活躍する娘を独自のコーチングで指導に当たっている。
編集部01