現代人の「生きがいが見つからない」悩みに対する松下幸之助の答え
「崇高にして偉大な存在」の人間がなぜ相争うのか
とはいえ、『人間を考える』は、いわゆる"ビジネス書"ではない。人間観についての書である。その目次には、「人間」「宇宙」「天命」などの言葉が並び、哲学書か思想書にみえる。通常の幸之助の著作とは異なり、仕事や経営などの具体的なやり方に関する記述がほとんど見当たらない。 そのためか、出版当時の世間の反応は正直なところ、大きいとはいえなかった。ただ、幸之助が築き上げた松下電器産業(現パナソニックグループ)社内では、多くの職場で本書の勉強会が開かれたという。 もっとも、勉強会でもしなければ、容易に内容の理解できない本である。難解な理由は、学術書のように抽象的な概念を駆使しているからではなく、幸之助の独特の世界観による。 初めて本書を読む人は、幸之助がまず人間を、「万物の王者」「崇高にして偉大な存在」と断言していることに戸惑いを覚えるだろう。幸之助によると、人間は「万物の王者」や「偉大な存在」たることを自覚していれば、戦争はむろん、些細な争いに明け暮れることなく、繁栄・平和・幸福の実現に注力するはずだという。 幸之助が人間観の探究を始めたきっかけは、戦争の不条理だった。万物の霊長と言われる人間同士が相争うことに疑問を覚え、人間の本来の役割や使命を考え抜く。 人間を「万物の王者である」と表現したのは、この世を繁栄・平和・幸福の実現に導く責務を人間に求めたからだ。人間には優れた資質が備わっているがゆえに、この世におけるその役割はそれだけ重たいと見なしたのである。「王者」とは、人間が暴君として、この世を制覇するという意味ではない。 幸之助は本書の中で、「自然の理法」という言葉を繰り返し用いた。「王者」であっても、この「理法」には従わねばならない。幸之助いわく、宇宙の生成発展は自然の理法である。その生成発展の過程において、地球が誕生し、人間が出現した。そして人間は、この地球上での生成発展、つまり繁栄・平和・幸福の実現の役割を担っているというのだ。 このように考える幸之助にとって、「生きがいが見つからない」という若者の悩みは本来、あり得ないことだった。人間誰しも例外なく、生成発展の一翼を担っているからだ。 こうした見方は、幸之助の宇宙観が前提とされているのではないかと批判する向きもあるだろう。けれども幸之助自身にとっては、個々の社員の長所や持ち味を信じて経営を続けていくうちに、会社が成長して社会に貢献できるようになった実際の経験は大きかったはずだ。 人間は本来、互いに良き面を活かし合えば、この世の生成発展に寄与することが真理であると確信したのである。