特攻隊を見送る写真の前で思い出を語る桑代チノさん=南九州市の知覧特攻平和会館(南日本新聞社)
「これからの時代、女にも学校が必要」…兄の勧めで進んだ女学校だが、勉強どころじゃなかった。知覧特攻隊に奉仕する毎日。250キロ爆弾を積んで出撃する若者を、何度も見送った。今も世界のどこかに戦死者がいる…生ある限り戦争の愚かさを私は伝え続ける【証言 語り継ぐ戦争】
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