石原さとみ×青木崇高インタビュー 『ミッシング』 絶望のその先にある、手の温もり
ある日、愛する幼い娘が失踪した。夫婦はその帰りを願いながら、進展もないまま3カ月の月日が流れた。自分の力ではどうにもできない現実、事件をめぐるマスコミと世間の声に翻弄される母親とその家族。 5月17日公開の『ミッシング』は、壊れた世界の中で、もがき苦しむ夫婦、その関係者たちの心模様に感情が揺さぶられる映画だ。メガホンをとったのは、『空白』で娘を亡くした父親とその周囲の者たちの苦悩を描いた吉田恵輔監督。主役の母親、森下沙織里役に、石原さとみ。その夫、森下豊を青木崇高が演じる。 ドキュメンタリーの裏側にある本来の当事者をみるような生々しさを感じる本作は、石原さとみの産後復帰の第一作目の映画となる。1年9カ月ぶりにカメラの前に立ったのは、これまでのイメージを一新させる「絶対に私に来ない役」。覚悟をもって挑んだ撮影は、どのようなものだったのか。それを間近で見ていた青木崇高は、何を感じどう演じたか。 演じたふたりのエモーショナルな部分をこのインタビューで感じてほしい。 ・・・ 心が崩壊しそうな苦悩と幸福 ーー本作の森下沙織里という役を演じて、石原さとみさんは「自分が崩壊しそうなぐらいに苦しかった」と伺いました。具体的に何が苦しかったんですか? 石原 この作品は、娘を失った瞬間よりも、その先にどん底があることを知っていく物語なんです。失った瞬間がピークじゃない。その後にピークがある。そして、この映画の一番のピークだと思うんですけど、彼女の感情がジェットコースターのように上り切った後に、とてつもないところまで落とされるっていうのは‥‥。「沙織里、よく生きてたな」って思いますね。 撮影中はずっと震えていたし、思い出しても怖いです。映画で役を演じているとはいえ、心が壊れる瞬間を体感したような感覚になりました。 ーー青木崇高さんは、沙織里を支える夫、森下豊をどう演じられましたか? 青木 僕が演じた豊は多くを語るキャラクターでもないので、変化していく沙織里の状況を見守りつつ、自分の感情にも耳を傾けるという感じでしたね。 物語として、沙織里の母親としての愛情がベースになるものでしたし、現場では、吉田監督と石原さんとの関係が、ど真ん中に構築されていました。監督の石原さんへの指示を、実はこっそりと聞きながら、豊として、僕自身としても、現場でナチュラルにいられるようにということを第一に考えていました。 ーー石原さんは、「ずっと震えていた」とおっしゃる一方で「今でも思い出すと泣けるぐらい幸せだった」ともコメントされてますね。 石原 7年前、吉田監督に「私を変えてほしい」って直談判しに行ったんですよ。その3年後に、脚本書きましたってご連絡いただいたんです。 初稿の台本を読んだとき、「これ、あの時言ってなかったら私にオファーはしてないだろうな」って思うキャラクターだったんです。だからこそ挑戦できたんですよね。 そして何の運命かわからないけど、産後復帰の一作目にさせていただけた。子供が産まれた後では、初めて脚本を読んだときよりも、何百倍もわかる。心の苦しさに色がついて想像できてしまう。だから怖かったし覚悟が必要だった。 去年の撮影時、現場でもずっとパニックだったけど、撮影が中盤から後半になったあたりかな。 セッティングを変えるときに、ふと客観視したら「7年前に行動して、今、夢が叶って吉田作品の現場にいるのか‥‥凄すぎるな!」と思ったんです。これって幸せでしかないと思って、それにずっと浸っているし、今こうやって宣伝できていることに感謝しています。 ーー青木さんは、こういった経緯はご存知でしたか? 青木 直談判だったってことは聞いていました。今の幸せだった話を聞いて、強いなって思うと同時に人間っていうのは本当に改めて複雑だなって思いましたね。 向き合っている状況は、とても耐えられるものじゃないけど、それと並行して多幸感にも包まれることもあったりする。この作品にも言えますが、とても辛い状況がありながらも、人は光を見いだせる。もちろん、光すら感じ取れないぐらい大変な時もあると思います。でも心っていうのは、簡単には片付けられない多面性があることを改めて感じました。人って瞬間瞬間で生きてるんだなって思います。吉田監督はそういうところを紡ぎ出すのが、本当にうまいなって思いますね。