がれきの上に立つ血だらけの母、大八車に山積みの遺体…「初めて、絵を描くことが苦しかった」 福岡の美術学生がヒロシマとナガサキに向き合って抱いた平和への願い
福岡市出身で、被爆者と交流するのは初めての経験だった。自分の発想ではなく、依頼に基づく絵画制作に興味を持ち「深く考えずに」プロジェクトに参加したが、森さんとプライベートの話もし、親睦を深めるうちに、彼女の身に降りかかった惨事が自分のことのように胸に迫ってきた。「この人の身に、こんなこと起きてほしくなかった」。初めて絵を描くことが苦しいと感じた。葛藤しながら、少しでもリアルに描こうと、インターネットで戦時中の服装や原爆投下直後のまちの写真を調べ、森さんの話と照らし合わせながら描き進めた。 ▽身内にも…想像もしていなかった事実 プロジェクトが動き出したのは2022年10月ごろ。福岡市在住の被爆者や二世らでつくる「福岡市原爆被害者の会」が九州産業大学側に依頼した。人類が初めて経験した核兵器による惨状を、戦争を体験していない世代が言葉だけで思い描くのは難しい。会員らが小学校などで証言をする際、聴き手の理解を助ける資料が必要だと考えた。
1年目の昨年は公募で選ばれた3年生3人が、当時4~9歳だった3人の体験を描いた。今年は国本泰英講師の研究室の活動として継続し、浦川さんらゼミ生3人が参加。1月に森さんら被爆者3人と顔合わせし、二人三脚の制作がスタートした。 「まさか」。佐賀市出身で2年生の松野美月さん(21)は昨年末、プロジェクトに参加することを父親に報告すると、思いがけない事実を知った。小学生の時に亡くなった曽祖父が長崎で被爆していたのだ。小学校の修学旅行で長崎を訪れたが、身内に被爆者がいるとは想像もしなかった。 担当したのは、曽祖父と同じ長崎で被爆した釜崎照子さん(86)。原爆投下から数日後、祖母と市内に買い物に出かけた際に見た、大八車に入れられた無数の黒焦げの遺体を描いてほしいと依頼された。 「大人も子どもも性別も関係なく山積みにされていた」。苦しげな表情で絞り出すように語る釜崎さんを見て、思い出すのもつらい体験なのだと痛感した。釜崎さんの頭にこびりついていることまで表現しようと、光景をそのまま描くのではなく、大八車の中で折り重なった遺体が映る少女の片目を画面いっぱいに配置した。 参考資料として実際の遺体の写真も見なければならず、精神的に参ってしまいそうになった時は曽祖父を思い出し、気持ちを奮い立たせた。
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