「流線形」あまり意味ない? なぜ新幹線は採用し、そして鼻が長くなっていったのか
コンピュータがより効率的な形を編み出した
戦前の鉄道誌には島の名義で流線形の効果を論じる記事がありますが、これも「あくまで理想であって、本当は、例えば石炭消費量が少なくなるなど、そんなに目に見えてよくなるとは思っていませんでした」と述べています。デザインも手間のかかる三次曲面は避け、製造しやすいものを自分でスケッチして考えたといい、効果検証も行わなかったそうです。 一方、標準軌を最高速度130km/hで走る満鉄は環境が異なりました。1933年に開発に着手した「パシナ」は川西飛行機(現在の新明和工業の前身)で風洞実験を行うなど空気抵抗を意識して設計しました。 1934(昭和9)年から営業運転を開始しますが、アメリカでも流線形の蒸気機関車が登場したばかりで、世界的にも先駆的存在だったようです。1940(昭和15)年に正式決定した「弾丸列車計画」でも、最高速度200km/hを目指すにあたって満鉄の技術を参考にしました。 戦後、弾丸列車計画をリファインした「東海道新幹線」建設が決定すると、戦前の技術に加え、小田急ロマンスカー3000形やビジネス特急「こだま」151系の経験をベースに「0系」の開発に着手。ジェット旅客機などの形状を参考に、空気抵抗の少ない先頭形状が模索され、あのお馴染みの「顔」が生まれたのです。 流線形ブームの、ひとつの到達点である0系はその後も長く活躍しますが、1990年代以降に導入された新型車両はコンピュータ解析を活用した結果、「カモノハシ」こと700系のようなデザインが増えていきます。 新幹線には0系、100系、300系、500系といった、空気を貫く流線形デザインが似合いますが、細かく解析すると実は空気抵抗や騒音、振動など不利な面があります。代わりにコンピュータが発見した効率的な形状は、必ずしも人間の美的センスと合致しません。人間の感性と機能性・合理性が一致した流線形ブームは、この時はじめて終わりを迎えたのかもしれません。
枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)