監視の目をくぐり節穴から覗いたら・・・「うわぁ、へんちくりんなものを作りよるな」 映画『ゴジラ-1.0』にも登場した幻の戦闘機 目撃者がいた
局地戦闘機「震電」です。 胴体後部にプロペラがある特異な形が特徴で、アメリカ軍の爆撃機B-29の迎撃用として大戦末期に開発されました。 RKB 今林隆史記者「映画『ゴジラ-1.0』に登場した局地戦闘機『震電』を作ったのも九州飛行機でした」 ■震電を製造した会社「九州飛行機」 大刀洗平和記念館は震電を製造した九州飛行機に関する展示も行っています。 大刀洗平和記念館 岩下定徳さん「九州飛行機はですね、戦前から海軍の飛行機の部品、それから海軍の飛行機そのものをですね、多く手掛けていた会社になります」「学徒動員の方たちも含めて2万人以上の方たちがそこで働いていたという記録がございます」 震電の製造に携わった技師・倉持勝朗さんが撮影していた九州飛行機の写真が残されています。 その「九州飛行機」の流れをくむのが福岡市博多区の「渡辺鉄工」です。 ■「震電」飛行する姿「車輪出たまま 迫力はなかった」 技術顧問を務める岡田正弘さんは、10歳の時に「震電」の試験飛行を目撃していました。 渡辺鉄工 岡田正弘 技術顧問「今考えると何か情報が入っていたのかもしれませんね。当時震電と言わずにJ7と言ってました。少し格好が違う飛行機が飛んでるなという程度で迫力はなかったですね。そういうふうに少し高いところでゆっくりですから。車輪も出たままだった」 渡辺鉄工では、戦時中の建物の一部が今も使われていますが、終戦直後にほとんどの資料が処分されたため詳細は伝わっていません。 渡辺鉄工 岡田正弘 技術顧問「製作に関する仕様書、図面がないです。全部『焼却』という命令で。ある一部の大先輩、当時工場にいた方がね『全部焼いた』と。『もう本当あなたたちに申し訳ない。今考えたら』というようなこともおっしゃってました」 ■「人殺しのね、道具を作っていた」 資料が限られる中で重要な戦争について証言できる人は減り続けています。 九州飛行機に学徒動員され震電を目撃した小出さん。
戦後、自分たちが作った零式水上偵察機も特攻に使われていたと聞かされました。 小出和典さん(96)「一生懸命作った飛行機が自ら進んで爆発させられるという哀れさということと。かつては人殺しのね道具を作っていたわけですけども。いずれにしても戦争はいかんですね」
RKB毎日放送