「“大谷様”と呼ばないとアカン。あの時はすいませんでした(笑)」ロッテ・田村龍弘が初めて明かす“メル友”だった花巻東・大谷翔平のこと
「大谷世代」としての誇り
時間が経ち、舞台は移り、遠い存在になってしまったことに寂しさを感じながらも、同じ時代に白球を追いかけたことを誇らしくも思っている。 「色々な世代が凄いと言われる。でも、自分たちの世代も凄い。メジャーだと大谷、鈴木誠也、藤浪晋太郎。日本でもタイガースなら近本(光司)とか大山(悠輔)、木浪(聖也)と各球団の主力を張っている。そこに自分も食らいついていきたい。 それこそ新聞とか雑誌で、『大谷世代』とかの表に自分の名前を載せてもらえるように頑張りたい。そういう立ち位置になりたい。頑張りたいと思う。直接的なつながりはなくても、同い年というだけでつながりを感じるし、意識はします。同い年というだけで話しかけてくれることもあるし刺激をもらえる。自分が成長するには絶対に必要な存在。自分も、もっともっとやらないとアカンなあと思うんですよ」
高卒入団はNPBで“最後の一人”
田村はシーズン中にメジャーリーグの試合をテレビ観戦することはないが、ニュースやネットなどで大谷のホームラン映像を見るのを楽しみにしている。同じ時代、同じ場所で青春を過ごし、同じ夢に向かって汗を流した。今は海の向こうの存在にはなったが、あの時の思い出はしっかりと脳裏に残る。苦しい時、エネルギーをくれる存在であることは間違いない。 現在、大活躍する「大谷世代」の中でも、2012年ドラフトでプロの門を叩いた高卒のプロ入り選手に限ると、NPBに残っているのは田村だけだ。 「高卒がボクしかいないのは寂しい。やっぱり、中学、高校と同じ時代に名前を聞いた同じ年の選手が野球を辞めたと聞くと寂しいです。ただ最後まで残れていることは誇らしいような気持ちもあるし、その人たちの分まで頑張らないとアカンなあという気持ちにはなる」
30歳、秘める決意
田村は少し、神妙な表情だった。この世代の一人として、まだまだ最前線で戦うという目標に向かって突き進む決意がにじみ出ていた。 ZOZOマリンスタジアムでのホームゲーム。試合後に田村の姿はいつも室内練習場にある。ロッカーからバットを2本、肩に担いで打ちに行く。マシン相手に黙々とバットを振り、感覚を研ぎ澄ませる。通算1000試合出場まであと57試合。30歳、まだまだ老け込む年ではない。「大谷世代」--そう呼ばれる94年生まれの猛者たちは、野球界の中心を生きている。
(「プロ野球PRESS」梶原紀章(千葉ロッテ広報) = 文)
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