「“大谷様”と呼ばないとアカン。あの時はすいませんでした(笑)」ロッテ・田村龍弘が初めて明かす“メル友”だった花巻東・大谷翔平のこと
「どんどん違う次元に」
高校を卒業後、大谷はドラフト1位でファイターズへ、田村はドラフト3位でマリーンズに入団する。 「高校の時は同い年だし、同じ東北で練習試合も定期的に行っていたから交流もあって、ある程度は近い存在でした。プロに入った最初の頃も、同じタイミングで一軍の試合に出たこともあって、なんとか負けないように頑張ろうと思っていた。ただ、プロに入って少し経つと、大谷はどんどん違う次元にいったので、その時ぐらいから同い年としてというより、プロ野球選手としてヤバいなあ、と思うようになりました。知らぬ間に単に“スゲえなあ”では済まされない存在になってしまった」 試合で対戦すると、ファイターズの練習時間には大谷のバッティングにくぎ付けになっていた。 「ああ、大谷が打っているからちょっと見てみようって。やっぱりスゲえなあ、とその姿を見るのが楽しみな存在になっていました。高校時代は一切、そんな風に見ていなかったのに、気がついたら、そんな存在になっていた」
今やスーパースター
プロの舞台で「投手・大谷」との対戦は通算5試合。プロ3年目の2015年は6打数無安打だったが16年には5打数2安打を記録している。17年に第2戦をZOZOマリンスタジアムで行われたオールスターゲームではパ・リーグ代表としてチームメートとなり、ロッカーやベンチで久々に話し込むなど“同い年”としての時間を楽しんだ。今、振り返るとじっくりと話をしたのは、それが最後。大谷は翌年、次なる夢を求め、アメリカに渡った。 大谷とはずっと、グラウンドで顔を合わせると必ず冗談を言い合う仲だった。お互いが冗談で「黙れや」とか「なんやねん、オマエ」などと言いながらじゃれ合ったこともある。その彼が今やメジャーリーグのスーパースター。日本で知らない人はいないビッグネームだ。 「今、思うとそんなことを言っていたのが恐ろしい。『大谷様』と呼ばないとアカン。あの時はすいませんでした、って。ある意味、凄い事かなあとは思うけど」
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