幻の玉ねぎ「札幌黄」とは? “甘みが違う”地産地消で再び注目
【北海道・札幌】今や人口が200万人に達しようかという大都市・札幌ではありますが、北海道という場所柄、例外なく農業が盛んです。その中で生まれたのが、札幌産の野菜。主に手稲(ていね)区で生産される大浜みやこ(かぼちゃ)、主に清田(きよた)区で生産されるポーラスター(ほうれん草)、そして主に東区・北区で生産される札幌黄(さっぽろき・玉ねぎ)などが、札幌市内の飲食店でも提供されています。 【写真】ぎょうざとカレーがセット? これが北海道のソウルフード
戦中戦後に生産量が激減
その中の札幌黄は今が旬。9月最終週からこの札幌黄を使ったカレーライスが振舞われているのが、インド・スープ・ヨーロピアンという3種類のカレーをメニューに揃えている「パークポイント」(札幌市中央区)。マスターである高瀬昭則さんは、札幌黄との出会いをこう語ります。 「私は35年近くカレーショップをやっているんですが、札幌黄との出会いは10年程前、お客さんが札幌黄を栽培している農家さんと懇意にしていて紹介していただいたんです。そしてその農家さんに行って試食させてもらったんですが、これまで使っていた玉ねぎとは甘みが全然違って、すぐに札幌黄に切り替えました」 実際、札幌黄が“幻の玉ねぎ”と呼ばれているのは、一時期大幅に生産量が減少したことが原因です。もともと札幌は玉ねぎの収穫量が多く、明治初期の開拓時代から栽培がスタートしました。最初に札幌黄について書かれた書物が『北海道農事試験場彙報』(1906年/明治39年)。以後、札幌黄は北海道中で栽培され、本州はもちろんアジアへ輸出もされていました。しかし、太平洋戦争中の統制経済・作物の強制割り当てにより、北海道自体の玉ねぎの生産量が激減してしまいます。 その状況を変えたのが、札幌黄の改良による増産化計画。これにより、昭和40年代のピーク時には年間7万トンという統制経済下の9倍もの生産高を記録しました。そのピークもつかの間、「F1種」と呼ばれる病気に強く大きさがそろっている品種が昭和50年代に導入されると、病気に弱く粒がそろいづらい札幌黄という品種も、札幌が玉ねぎの一大生産地だったことも忘れ去られていくのです。