3年連続V逸で潔く辞めた長嶋茂雄さん。巨人首脳陣に『男のケジメ』はあるのか【堀内恒夫の悪太郎の遺言状】
健康を絵に描いた長嶋さんが病に倒れたのは信じ難いこと
1980年のオフ、3年連続V逸の責任を取って長嶋監督は潔くユニフォームを脱いだ
長嶋茂雄さんが病院へ担ぎ込まれたという知らせを耳にしたときには、本当に驚いたよ。 最初はいまから18年前の2004年3月4日だった。俺は巨人の監督に就任した年で、その日ちょうどオープン戦のために熊本へ行っていた。 当日朝に自宅で倒れたあと病院へ搬送されて、病名は脳梗塞と知らされたんだ。長嶋さんは健康を絵に描いたような人だったから、あのときほど驚かされたことはなかったね。 倒れる1週間くらい前に宮崎キャンプを終えた俺は長嶋さんから「オイ、元気か」と電話をもらい、いつもと同じ元気な甲高い声で激励してくれた。だから、倒れたという知らせを聞いたときは信じられない気持ちだった。 今年9月6日にも、長嶋さんが脳内出血で救急搬送されて入院したという報道があった。実は俺、今年6月3日に行われた東京ドームでの巨人対ロッテの交流戦の前に長嶋さんから電話をもらったんだよ。「東京ドームで佐々木朗希の先発試合を見るから、あらためて特徴を教えてほしい」と言われてね。俺があれこれ伝えると、長嶋さんは大きな声で頷いていて、元気そうだったから、今回も入院したという知らせを聞いたときには、やっぱり本当に驚かされた。 長嶋さんは監督時代にもジョギングやウォーキングを毎日やっていた。キャンプでは俺たちよりも朝早く起きて、散歩を欠かすことがなかったからね。 巨人では監督がキャンプ時に散歩を行ったのは、長嶋さんが最初だよ。V9時代の監督だった川上哲治さんは、散歩なんて一切やらなかったからね。朝の散歩は長嶋さんから始まった巨人の伝統みたいなものだよ。 俺にとって長嶋さんとの思い出で最も印象深いのは、1973年12月2日に結婚式を挙げたときに仲人をやってもらったこと。そして・・・
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週刊ベースボール