朝ドラ『虎に翼』星航一が所属していた「総力戦研究所」とは? 日本の敗戦を予測した人々が抱えた罪の意識
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』では第18週「七人の子は生すとも女に心許すな?」が放送中。寅子(演:伊藤沙莉)らが気になっていた星 航一(演:岡田将生)の謝罪の真意と、彼が「秘密です」と隠していた「戦時中にしていたこと」が遂に明かされた。今回は航一のモデルである三淵乾太郎さんも所属していた「総力戦研究所」がどういった組織であったかを解説する。 ■大日本帝国の敗戦は開戦前に予測されていた 総力戦研究所は、昭和15年(1940)9月30日付で施行された勅令第648号「総力戦研究所管制」によって開設された、内閣総理大臣直轄の研究所である。 目的は、対アメリカを意識した国家総力戦に関する基本的な調査・研究、そして若手のエリートに対して国家総力戦体制に向けた教育と訓練をすることだった。そもそもは陸軍が熱望した構想だったが、軍事面だけでなく思想や政治、経済など様々な面から研究する必要性があることから、内閣総理大臣の下につく形となったという。 昭和16年(1941)4月に第一期研究生として、文官22人、武官5人、民間人8人の計35人が入所。航一のモデルである三淵乾太郎さんもそこにいた。 そして、同年7月には日米開戦を想定して「第1回総力戦机上演習計画」を発表。アメリカとの戦争をシミュレーションすべく、研究生たちで疑似内閣もつくられた。東京民事地方裁判所判事だった乾太郎さんは、疑似内閣で「司法大臣」兼「法制局長官」という地位に就いている。 研究所では、課題に合わせて軍事力だけでなく外交や経済などの面から具体的なシミュレーションが行われた。例えば工業力や資材に基づく兵器増産の見通し、食糧・燃料などの自給率、運送・補給経路の確保、そして同盟を組んでいた枢軸国各国との連携などである。 研究生たちはいずれも当時の大日本帝国において最高峰の教育を受け、国を動かす立場になっていくエリートだった。そんな彼らが集められた膨大なデータを分析し、議論を重ね、「もしもアメリカと開戦したら日本は勝てるのか?」ということを何度もシミュレーションしたのである。 その上で出された結論は「開戦直後の緒戦は勝利が見込めるが、その後長期戦になることは必至であり、今の日本にはそれに耐えうる国力がなく敗北は避けられない」というものだった。当時日本は昭和12年(1937)から始まっていた日中戦争の泥沼化で既に疲弊し始めており、物資も不足しがちだった。そんな状態で大国・アメリカと全面戦争に突入しても勝てるはずがないということが突き付けられていたのである。 この研究結果は、同年8月に行われた「第1回総力戦机上演習総合研究会」において、当時の首相・近衛文麿や陸相・東条英機らをはじめとする政府・統帥部関係者に報告された。しかし、残念ながら政府の方針が「戦争回避」に変わることはなかった。 東条英機は、「これはあくまで机上演習であり、実際の戦争は君たちが考えているようなものではない。戦争というものは計画通りにいくものではなく、案外意外なところから勝利に繋がっていくのである」という旨の発言をしたとされている。さらに、「この机上演習の経緯を軽はずみに口外してはならない」と釘を刺したという。この約3ヶ月後、真珠湾攻撃とマレー海戦に端を発して太平洋戦争が始まる。 実際、原爆こそ想定外だったものの、それ以外は概ねこの時の予測に近い戦況となって日本は敗戦の時を迎えることになった。それはつまり、作中で航一が口にした通り、研究生らにとって「日本が敗戦することを知っていたのに何もできなかった」という状況を生んだことを意味する。そして航一はそれを自らの罪であると責め続け、「その罪を僕は誰からも裁かれることなく生きている」と苦しんでいたのだ。 もうすぐ終戦記念日がやってくる。今なお世界各地で戦争・紛争が続いているなかで、私たちは改めて戦争の悲惨さと多くの人が抱えた苦しみ、そして平和の尊さを胸に刻み、向き合っていかなければならない。 <参考> ■猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫,2010)
歴史人編集部