『セクシー田中さん』ドラマの原作改変、悲劇の背景を考える
芦原さんからの条件を都合よく解釈した可能性
芦原さんからの条件はまだあった。『セクシー田中さん』の原作は月刊漫画誌『姉系プチコミック』に連載途中で、未完だったことから、オリジナルストーリーとなるドラマの終盤について、「『原作者があらすじからセリフまで』用意する」(芦原さんのブログ)とした。 これにとどまらない。芦原さんは「場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある」(同)という条件も出した。 日テレ側には極めて高いハードルだったため、芦原さんは「この条件で本当に良いか」(同)と何度も確認したという。その上で決まったドラマ化だった。 しかし、芦原さんによると、条件は守られなかった。 「毎回、漫画を大きく改編したプロットや脚本が提出されていました」(芦原さんのブログ) 「作品の核として大切に描いたシーンは、大幅にカットや削除され、まともに描かれておらず、その理由を伺っても、納得のいくお返事はいただけない」(同) 終盤(全10回のうち、8~10回)はドラマ化の条件の通り、芦原さんがあらすじ、セリフをドラマ側に送った。しかし、それすら当初は改変されたという。 このため、芦原さんは9、10回の脚本を自分で書いた。原作者が脚本も書くのは異例中の異例である。 芦原さんと日テレにはドラマの放送中から埋めがたい溝ができていた。どうしてなのか。 「契約時点で日テレは芦原さんからの条件を都合よく解釈してしまった可能性がある」(前出・他局のプロデューサー) 芦原さんの言葉通りなら、日テレ側は原作者に認められた「著作者人格権」の「同一性保持権」を侵害したことになる。
ドラマの現場では著作者人格権がないがしろに
著作権法第20条第1項には著作者人格権の同一性保持権について、こう書かれている。 「自分の著作物の内容または題号を自分の意に反して勝手に改変されない」 ドラマなど二次的著作物は、一次的著作物にあたる原作を改変できないのである。例外は原作者が改変を承諾している時に限られる。 作家の池井戸潤氏が原作者であるTBS『半沢直樹』(2013、20年)は小説とかなり違っていたが、これは池井戸氏が改変に納得していたから問題はなかった。『セクシー田中さん』とは事情が違う。 実際のドラマの現場では原作者が承諾していない改変が後を絶たない。著作者人格権がないがしろにされている。開き直ったように「変えられるのが嫌ならドラマ化を断ればいい」と言うドラマ制作者も存在する。強気の背景には「ドラマ化されたら、原作だって売れるじゃないか」という思いがあるようだ。 しかし、そう割り切れる原作者は少数派らしい。1994年にテレビ朝日でドラマ化された楠桂(くすのき・けい)氏による漫画が原作の『八神くんの家庭の事情』の場合、楠氏の名前のクレジットが放送途中で「原作」から「原案」に変えられた。原作に大幅な脚色が加えられたためである。楠氏は1月27日、X(旧Twitter)に「途中で観るのもやめたから最終回も知らない」と投稿。怒りが込められていた。 原作者が脚本の内容にクレームを付けると、ドラマ制作者側からは「あの作家はうるさい」「ドラマづくりを知らない」と陰口をたたかれる。テレビ界は古くからコンプライアンス意識が低い業界だが、ここにもそれは表れている。