今夏ドルトムントと“夢の邂逅”へ…欧州挑戦を経て、日本で再び輝きを放つ香川真司の軌跡
「内田篤人、浅野拓磨、堂安律といった、優れた日本人選手がドイツでは活躍してきた。その筆頭が香川真司だ。ドルトムントで活躍していた頃の彼は世界最高峰に近いレベルにいたし、日本人の価値を大いに引き上げたと思う」 ドイツサッカー界に精通しているサンフレッチェ広島のミヒャエル・スキッベ監督がこう語ったように、ドイツで強烈なインパクトを残した日本人選手の代表格として、今もなお今も名前が挙がり続けるのが香川だ。同国を離れてから5年の月日が経過するのに、輝かしい活躍は決して色褪せることがない。偉大な足跡を残したアタッカーの一挙手一投足は、多くの人々の脳裏に焼き付いて離れないのだ。 香川の存在を日本中に知らしめる大きな契機となったのが、2008年5月のコートジボワール戦(豊田)での日本代表デビューだろう。当時19歳、セレッソ大阪でプロ3年目を迎えたばかりの若手だった。「平成生まれ初の代表選手」という看板を引っ提げ、頭角を現した若武者は持ち前の高い技術と創造性を前面に押し出し、ゴールに突き進んだ。同年はJ2で16ゴールを挙げ、さらに2009年には27ゴールをゲット。類まれな得点センスは見る者を大いに魅了した。 とはいえ、2010年夏のドルトムント移籍は一つのサプライズに他ならなかった。というのも、当時はまだ2部リーグで活躍する若手で、ワールドカップの大舞台にも立っていなかったからだ。実際、移籍発表前日に明らかにされた南アフリカW杯の日本代表メンバーからは落選。サポートメンバーとして帯同することが決まったばかりだった。「メンバー落ちして悔しい思いをしたけど、気持ちを切り替えて世界で戦っていきたい。夢が叶いました」と本人は気丈に前を向き、代表に合流。練習でキレキレのパフォーマンスを見せつけ、「岡田武史監督は、香川をメンバーに入れた方が良かった」と報道陣に言わしめたほどだった。
ドルトムントで大ブレイク! 名門マンチェスター・ユナイテッドへ
南アフリカW杯後に渡独した香川は勢いに乗って10-11シーズンの開幕からスタメンを確保。背番号23をつけ、ルーカス・バリオスの背後のセカンドトップで強烈な存在感を示し、前半戦だけで8ゴールをマークする。同世代のケヴィン・グロスクロイツやヌリ・シャヒンらと奏でる見事なハーモニーはまさに圧巻というしかなかった。未来を嘱望されたタレントの力を引き出したのが、ご存じの通りユルゲン・クロップ監督だ。「日本にいた頃の香川はボランチや中盤で使われたけど、セカンドトップが適正だということをクロップが証明した」と当時解説者を務めていた名波浩(現日本代表コーチ)も強調。自身の潜在能力を引き出してくれる名将との出会いによって、香川は一気にブレイク。世界のサッカー関係者の注目の的となったのである。 日本代表で10番を引き継いだのもこの頃。2011年のアジアカップから正式にエースナンバーを襲名し、「点の取れる新たな10番像を作っていきたい」と意気込みを示した。同大会の準決勝・韓国戦で右足第5中足骨骨折という重傷を負ってしまったのだが、日本がアジアタイトルを取れたのも、彼の躍動感あるプレーがあってこそ。10番・香川への期待感は一気に高まった。このケガでドイツ1年目後半は棒に振ったものの、2年目の11-12シーズンはロベルト・レヴァンドフスキとのコンビで躍動。公式戦通算17ゴールをマークするのと同時に、ブンデスリーガ2連覇、DFBポカール制覇を達成した。ポカール決勝・バイエルン戦では1ゴール1アシストと異彩を放ち、まさに世界最高峰クラスのアタッカーの仲間入りを果たしたと言っていい存在になった。 この成長株に目を付けたのが、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督。超一流指揮官から声をかけられた男がイングランド行きを躊躇するはずがない。2012年夏にはプレミアリーグ参戦に踏み切った。そこでは主力の座を掴むには至らなかったが、1年目はウェイン・ルーニーらとの好連携を披露し、プレミア制覇に貢献した。しかし、名将が退任した13-14シーズンは出番が激減。プロ入り後初の無得点という不名誉な結果のまま、ブラジルW杯に向かうことになり、惨敗を喫してしまった。 本人の挫折感も凄まじいものがあったが、同年夏には心機一転、古巣ドルトムントへ復帰する。14-15シーズンはコンディションが思うように上がらず苦しんだが、指揮官がクロップからトーマス・トゥヘル監督に代わった15-16シーズンはポジションを中盤に移して再ブレイクを果たした。イルカイ・ギュンドアンとの両インサイドハーフ、アンカーのユリアン・ヴァイグルのトライアングルが見事なまでに機能し、香川自身も公式戦通算13ゴールをゲット。新境地を開拓することができた。トゥヘル体制では総じて安定したプレーを見せていたと言っていい。自信を取り戻し、ドルトムントとの契約を延長。2017年夏にやってきたピーター・ボス監督の下では再び前線で起用されることが増えた。一方で、その頃は日本代表での立場が微妙になりつつあり、本人もロシアW杯出場に向け、パフォーマンスを上げようと躍起になっていた。30歳が近づき、ケガも増え、フィジカル的にも厳しい時期が少なくなかったが、何とか2度目のW杯に滑り込んでトップ下の定位置を確保する。初戦のコロンビア戦では開始早々のPKを確実に決め、長年苦しみ続けてきた背番号10の呪縛を解き放つことができた。ロシアで下馬評の低さを覆し、16強入りを果たしたことは、彼の代表キャリアにとっても大きな意味があったと言えるだろう。