世界に離散、大富豪も多い...「ユダヤ」とは一体何なのか? 聖書と歴史から読み解けば世界の「今」が見えてくる
1492年にイスラム勢力を掃討してキリスト教による国土統一を完成したスペインでは、ユダヤ人に対する追放令が発せられ、改宗か追放を迫られた。さらにイタリアでは、16世紀半ばにユダヤ人を集団隔離する居住区ゲットーが現れ、西欧各地に広まった。 一方、主にドイツを中心とする西欧に居住していたユダヤ人は、迫害を逃れてポーランドなど東欧へ移住して繁栄したものの、17世紀半ばに幾度も迫害を受けた。 数々の差別・迫害を受けてきたユダヤ人であったが、ユダヤ人自身による解放を模索する動きもあった。しかし、実際にユダヤ人解放の契機となったのは、フランス革命とナポレオンによるゲットーの解体に伴うユダヤ人解放と、市民権の付与、そしてその潮流の西欧各国への伝播であった。 こうして、西欧各地でユダヤ人の解放が進み、各界への進出が見られた。 しかし、これでユダヤ人差別が解消されたわけではなかった。ユダヤ人の各界への目覚ましい進出ぶりは、周囲の激しい妬みや反感を買い、19世紀後半になると西欧で民族主義が活発化し、反ユダヤ主義が台頭するようになった。 またロシアでは、度重なるポグロム(ユダヤ人大虐殺)により多くのユダヤ人が犠牲になった。 そんな中で、1894年にフランスで起きたドレフュス事件(ユダヤ人陸軍大尉がスパイ容疑で逮捕された冤罪事件)を契機に、ユダヤ人はその故地シオンの丘に帰還して自らの国家を再建すべきであるというシオニズム運動が盛んになった。 20世紀に入ると、ロシアで再びポグロムが発生し、多くのユダヤ人がアメリカに移住したが、この時パレスチナに移住したシオニストが後にイスラエル建国の基礎を築いた。 第2次大戦では、ナチスによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)により600万人のユダヤ人の命が奪われるという大きな悲劇に見舞われた。度重なるポグロムやホロコーストに対抗する形でシオニズムが発展し、世界各地からパレスチナに多くのユダヤ人が移民した。 1948年にパレスチナのユダヤ人たちはイスラエル国家の独立を宣言した。ところが、これによりこの地域に居住していたアラブ人(パレスチナ人)が排除され、多くの社会的・政治的問題が生じた。 これ以降、イスラエル/パレスチナ問題は、今日に至るまで中東地域ひいては世界で最も解決が困難な問題の1つとなっている。