人口約8,500人の約半分が移住者!? 北海道・東川町が推進する「適疎な町づくり」とは?
続いて、話を伺ったのは、東川町役場 適疎(てきそ)推進課の窪田昭仁(くぼた・あきひと)さん。この町の最大の特徴として「北海道一高い山・旭岳の麓にあるということ。それから地下水で生活をしているということと、文化の東川ということで古くから文化があり、農村としても栄えてきた町で、隣町の旭川とはかなり大きな違いがあります」と話します。 これまで、大雪山、家具、写真といった3つの文化を軸に町づくりをおこなってきたという東川町。その3つのなかでも一番歴史が浅いのが写真文化で、「“写真の町”を宣言してから今年で40年を迎えるんですけれども、写真文化を軸にした町づくりを東川町として進めてきました」と振り返ります。 人口は一時期6,000人台に減少したものの、長きにわたって取り組んできたことが実を結び、8,000人台にまで回復。人口が増えた要因として、写真文化も一役買っているそうです。 「写真って、やっぱり記録として残したいものにレンズを向けると思うので、レンズを向けたくなるような人であったり、モノを作ったり、さまざまな取り組みや町づくりを進めてきたことが評価されて、転入者が増えてきたのかなと考えています」と推察していました。 続いてサンポスマイクが訪れたのは、東川町に古くからある写真館「アイハラ」です。御年77歳の店主・粟飯原順二(あいはら・じゅんじ)さんは、この町の方々の家族写真を最も多く撮ってきたひとり。 父の代に創業して70年以上になる「アイハラ」を守り続けてきた粟飯原さんが家族写真のシャッター切るときに意識していることは「真剣にというか、家族がその後も円満に営んでほしいなあと思って……そういう気持ちは強くあるつもりです」と言います。 “写真の町”を宣言して今年で40年になる東川町には、現在18人ものプロカメラマンが住んでいます。そのうちの1人で、アウトドアガイドとしても活躍している大塚友記憲(おおつか・ゆきのり)さんにも話を伺いました。 千葉県野田市出身ながら、20歳の頃に“いろんな世界を見てみたい”と北海道に漠然とした憧れを持っていたという大塚さん。たまたま、宿の住み込みアルバイト募集を目にして、その宿で働き始めたのが移住のきっかけでした。 当初は長く居るつもりはまったくなかったという大塚さんでしたが、「大量の雪が降る山奥で生活しているうちに、出身の地元とはまったく違う環境に段々と惹かれるようになって。ここにしか生息していない動物を発見したり、雄大な景色を見ていくうちに、この土地から離れられなくなったっていう感じですね」と話します。 大塚さんいわく、新緑の時期や初夏も魅力的ではあるものの、「冬がやっぱり一番好きです。一番寒いときは、1月などは町なかでもマイナス20度まで気温が下がることもあるんですけど、そういうときだからこそ朝のダイヤモンドダストが町なかで普通に見られたり、あとはスキーもできる町なので山のほうまで行っていろいろなエリアで滑ったり。町なかから20~30分行けば自然環境豊かなところで思いきりアウトドアを満喫できるのが魅力的だと思っています」と自身の思うこの町の魅力を語ってくれました。 また、アウトドアガイドとしても活動している大塚さんに、東川町イチ押しのフォトジェニックな場所に案内していただくことに。やって来たのは、旭岳源水が湧いている場所で、「ここは年間を通じて水温が7度ぐらいのところなので、ちょっと触っただけでもひんやりと冷たくて、実際に飲んでみてもおいしいんですよ」と大塚さん。 水温が低いため、真夏の早朝などに来ると幻想的なもやがかかることがあるそうで、「朝、少し歩くだけでも非常に気持ちいいので、ここはおすすめの癒しスポットですね」と太鼓判を押していました。 次に話を聞いた東川町役場 写真の町課の吉里演子(よしざわ・ひろこ)さんも写真がきっかけとなって東川町に移住してきたひとり。そのきっかけとなったのは、2005年の高校生だった頃。東川町で開催している高校生の全国大会「写真甲子園」に出場したことでした。 「『写真甲子園』は、高校生を対象にした全国大会のことで、写真作品を応募していただいて、勝ち残った高校生たちが東川町を中心とした北海道の撮影地で撮影をして、高校生カメラマンの日本一を決める大会となっています」と解説。