便利な中国、不便な日本――両国の文化的現在
中国の国内総生産(GDP)が日本を上回り、世界第2位となったのは2010年。最近では、米中貿易摩擦などを背景に中国経済の成長鈍化が話題になっていますが、それでも、急速な経済成長によって生まれた中国人富裕層は世界中で存在感を増しているようです。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、中国の近年のこうした変化を「僕が子供の頃から大人になるまでに経験した日本の変化と似ている」と話します。日本と中国の現在について、若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
二つの30年
中国に来ている。大学の副学長になっている教え子から、彼が委員を務める国際会議で、建築と造園に関して講演することを頼まれてのことだ。 初めて中国を旅したのは30代のとき、ヤオトンと呼ばれる洞穴住居、パオと呼ばれるテント住居を調査するため、ウルムチから、トルファン、ハミなど、西域を旅した。当時は未解放区が多く、立ち入るには政府の許可を必要とし自由には動けない。人民服と自転車の時代だった。 その後、来るたびに中国は大きく変化してきたが、このところ少し落ち着いているようにも思う。 この30年の変化は、僕の子供の頃から大人になるまでに経験した日本の30年の変化と似ている。家の中の電気製品といえばラジオぐらいしかなかったのが、白黒テレビ、電話、レコードプレイヤー、洗濯機、冷蔵庫、カラーテレビ、ステレオ、空調機と次々に入り込んできた。家の前の道路は雨が降ると泥んこ、それが砂利敷きになり、アスファルト舗装になり、自転車とリアカーに代わって自動車が走るようになった。地下鉄ができ、高速道路や新幹線ができる。この日本の30年の変化を中国の30年が追いかけたのだ。その時差もちょうど30年程度ではないか。 しかしそれは物理的な生活スタイルの話であって、社会体制はかなり異なっている。 日本はその間に経済格差(統計ではなく実感)が縮小する方向に進み、一時は一億総中流化といわれた。中国はその間に経済格差が著しく広がったと当の中国人がいう。軍事についても、日本は拡大しているとはいえ、ある程度抑えられているが、中国の軍事拡張はそうとうのものであるようだ。そして日本は民主主義と資本主義の国として欧米文化に追随しているが、中国は共産党独裁のまま資本主義的経済となり、むしろ欧米に対抗して中華文化を広げようという勢いである。 中国は今後どのような道に進むのか。マスコミの話題は軍事と経済の拡張に集中するが、ここではやはり文化的な視点を取ろう。習近平路線は一時の開放一辺倒から規律志向に転じているように思える。一帯一路政策も中央のコントロールを強めるための外的目標ではないか。内的な規範を求める儒教の伝統に回帰する兆しもある。中国は徳治の伝統をもつ国だ。共産主義、改革開放を経て、再び徳治社会に戻ろうとするのかもしれない。そして皇帝(主席)と官僚への権力集中という意味では一貫しているともいえる。