便利な中国、不便な日本――両国の文化的現在
「明示と主張」の文化と「曖昧と忖度」の文化
一方、外国語と比べたときの日本語の特徴は、敬語の存在である。たとえば一人称、二人称を意味する代名詞はきわめて多様で、社会的な立場によって使い分けねばならない。言語が、意味の違いよりも立場の違いを重視して構成されており、外国人が戸惑うのは、この敬語の複雑さと、言葉の意味の曖昧さである。 そしてその社会においては、はっきりした意思表示がなくても相手の心中を察して行動する、いわゆる忖度が求められるのだ。中国の文化が「明示と主張」の文化であるのに対して、日本の文化は「曖昧と忖度」の文化であるといえる。 たとえばレストラン(日本でも中国でも)などで、中国人ウエイトレスの態度は日本人にとってはぞんざいに感じられるが、オーダーを確認することに関しては実に明確である。これに比べて日本人ウエイトレスの対応は、たしかに丁寧だが、ハッキリと確認しないのでオーダーが確実に伝わっているかどうか不安なことがある。中国では意思をハッキリと伝えることが重要で、日本では客の気分を損ねないことが重要なのだ。この違いは外交や商取引にも影響を及ぼしているのではないか。
中国は便利、日本は不便
上海では三人の弟子に世話になって色々と話した。彼らはいずれも日本で学位(博士)を取り、今は上海で設計事務所を開いたり、大学の幹部教授になったりしている。 習近平政権になってから、官僚の統制が厳しくなり、権力を振りかざしたり賄賂を受け取ったりすることが減ったので、それはいいことだと、一定の評価をしている。たしかに、僕がスピーチした国際会議でも北京から来た官僚が代表になっていたが、きわめて紳士的であった。しかしその分、皆が慎重になり、会議ばかり増えて物事が決まらなくなったという。官僚主義の弊害という点では中国も日本も共通するのかもしれない。古代ギリシャ以来のロゴス中心主義的な政治思想を受け継ぐ欧米に対して、アジア的官僚主義というものがあるような気がする。 弟子たちは日本のこともよく知っているので次のようにいう。 「最近は中国も社会主義の日本に近くなった」 中国は資本主義、日本は社会主義、というのは、彼らの決まり文句なのだ。 それにしてもキャッシュレス化が進み、タクシー(白タクも含む)などもインターネットを通じてすぐに呼べるし、その時点で料金も決まり、どこを走っているかもスマホで監視できるので、現地の人がアテンドしなくても、安心して移動できるという便利さがある。最近は、上海の駐在員が日本に帰ると、「中国は便利、日本は不便」と話すことも多いという。 大学で、永井道雄教授(のちの文部大臣)から、「便利の思想」は、福沢諭吉以来、近代文明社会への強力な価値観であったと教わった。先進国を自認する国が新興国といわれた国より不便というのは、看過できないことではないか。 今の日本には、明治の開化、戦後の復興に匹敵する意識改革が必要なのかもしれない。