廣岡達朗コラム「京都国際高のダブルエースは大化けの予感。東尾修の投球術に学べ」
本音を言えば大社高に勝ってほしかった
今夏の甲子園は京都国際高が初の全国制覇を達成した。 大会を全体的に見ていて感じたのは帽子のかぶり方がなっていない選手が散見されたことだ。頭に軽く乗せる程度だから投げるたびに帽子が飛ぶ。ツバを曲げずに今風にかぶっている選手もいた。服装とは何か、伝統とは何かを指導者が教えていないため、こういうことになるのだ。 【選手データ】東尾修 プロフィール・通算成績 本音を言えば、公立校として唯一8強に残った大社高に勝ってほしかった。甲子園に出るための越境入学を許すのは間違っている。地元の選手でチームを作った大社高のような学校が勝てば革命が起きていた。 私は故郷・広島の江田島にあった海軍兵学校へ入りたかった。兵学校の必須科目である鉄棒や雲梯(うんてい)で体を鍛えた。結局、呉三津田高へ入学して野球を始めた。部員は全体で9人ギリギリしかいなかった。当時の監督は一人ひとりを一生懸命に教えたものだ。最近の強豪校のように100人入部してふるいにかけることしか考えない監督とは違う。体調を崩して発熱しても練習を休まなかった。 ボールやバットが足りなければ選手がアルバイトをしてお金を捻出。それで買った新しいボールは投手に1個だけ渡された。古くなって縫い目の糸が切れれば自分たちで縫い合わせて使ったものだ。 われわれの時代は学業ありきだった。試験の成績が学年で3分の1以上に入らなければ野球をさせてもらえなかった。 それでこそアマチュア野球である。だから越境入学は試験問題をクリアした上で許せばいいのだ。
指導者次第で大化けする
話を決勝戦に戻そう。京都国際高の先発左腕、中崎琉生は良かった。速い真っすぐを右打者の懐にクロスファイヤーでズバッと突いていた。相手は腰を引いて見逃すか、バットを振っても腹切りのようなスイングで三振。もう一人の左腕、2年生の西村一毅も良い。同じように内角を突きながら、左打者にもチェンジアップを放っていた。今後の指導次第で2人とも大化けする。 不思議に思うのは、中崎はフルカウントになって四球かと思ったところで見違えるように良い球を放っていたことだ。打者は打てないコースは絶対に打てない。最初からうまく配球を組み立てれば、あんなに球数を要する必要はないのだ。 関東一高の先発左腕・畠中鉄心にも言えることだが、なぜあんなに急いでポンポン投げるのか。捕手からの返球を捕った次の瞬間には投げていた。間合いがない。野球というのは、次はこうしよう、ああしようと考えないと中身が伴わない。少しは考えなさい、と言いたくなった。