【能登半島地震】元旦に震度7の揺れ!?そのとき100歳のやすこばあちゃんは?「壁に寄りかかっとったよ」戦争体験者は肝っ玉が強い【作者に聞く】
2024年の元旦に起きた能登半島大地震。震度7という強い揺れとともに、津波警報も発令。ウォーカープラスで連載中の家族漫画「おばあちゃんと一緒」の著者たばやん(@obaatyanntoissy)さんのご家族は富山在住。そのとき、100歳を迎えるヤス子ばあちゃんは!?今回は、当時のことをようやく記録として残すことができたというたばやんさんに話を聞いた。 ※地震の体験などセンシティブな内容を含みますので、閲覧にはご注意ください。 【漫画】本編を読む 現在たばやんさんは、看護roo!にて「終末期の患者さんのために、私ができることって?」や「実習でまさかの患者さんを担当。…どうすれば!?」など、看護学生や看護師の体験談を漫画化。また、作画担当の書籍「2万人以上が暮らした日本一の認知症グループホームの365日」も現在絶賛発売中! ■震災のときの気持ちをまとめるまで、少し時間が必要だった 元旦、午後4時。能登半島を震源地とする震度7の地震が発生。当時のことは鮮明に覚えていて、「とにかく、怖かったです」と、たばやんさんは話す。「もともとあまり地震のない地域でしたので、突然の大きな揺れにみんなで慌てふためきました。それと同時に災害に向けての普段からの意識の低さ、準備の甘さを認識し、反省しました」と、当時と振り返る。 地震とともにスマホの緊急アラームが鳴り響き、目が覚めた。立ち上がるとさらに揺れはひどくなる。揺れが収まった瞬間、やすこばあちゃんのところに駆けつけると、おばあちゃんはダイニングテーブルの椅子に座って、体を壁にくっつけて揺れに耐えていたという。 津波警報も発令し、高台に避難しようと準備するなか、おばあちゃんは食べかけの柿にラップをかけようとしていた。「おばあちゃん急いで立って!」と、たばやんさんは声をかける。 山へ向かう道は渋滞していた。車を持たない人たちは、お年寄りでも山に向かって歩いていた。何度も余震に揺られながら、なんとか山手の運動場に避難。無事に避難できたものの「いつまで?」という心配も出てきた。宿泊する人もいるというなか、おばあちゃんの心配をすると「オラぁ、大丈夫!」と生存スイッチオン!「トイレだって、その辺の草むらでいい」と、芯のある強さをみせた。 たばやんさんは、「そういえば、戦争も伊勢湾台風も経験しているんだっけ」と、おばあちゃんの長い歴史を振り返って気づく。自分たちよりもっと過酷な状況を生き抜いてきた人だった。「おばあちゃんは、目の前で起きていることをただただ受け入れて気丈にしており、その後もすぐに通常の生活に戻っておりました。大正・昭和世代の余裕を感じました…」と、たばやんさんは話す。 「最近のおばあちゃんは、体調を整えるため入院しております」少し心配だが、「バイ菌を退治するのに抗生物質を投与してもらっています。看護師さんたちに優しくされて、心地良く過ごしているみたいです。お見舞いに行ったら2キロ太って、めっちゃ元気になっていました(笑)」と、お元気な様子。「今後も健やかに過ごせるように、生活のことを医師も含め相談中です」 帰宅後は、食べかけだった柿を食べて、満足そうだったおばあちゃん。反対にたばやんさんは、地震のショックが大きく、漫画に記録するまでしばらく時間がかかったという。 ■取材協力:たばやん(@obaatyanntoissy)