能登半島地震まもなく1年 石川県珠洲市で高校生ウエイトリフティング選手たちを支える、岩手出身の女性指導者
「もうここではウエイトリフティングを指導することはできなんじゃないかなっていう気持ちにもなりましたし」 それでも、子ども達の夢をあきらめない・・・。 高校の屋内施設、その一画を間借りして、トレーニング。 さらに県外の高校へ出向いてトレーニング。 元の場所で、練習を再開したのは、地震から2カ月後のことです。 「子供たちが望んでいる結果を出させなければいけない、というか出させてやりたいっていうか、そんな思いでずっと奔走してきた」 夏のインターハイ、被災地から戦う彼らは団体で準優勝を果たしました。 「全て終わってみれば、本当に無事に全部乗り越えることができて(良かった)と思っていますけど、でも1月2月なんてのは生き地獄だなって思ったのが正直なところでした」 「これもどうしたらいいか分かんない。壁もあんなに(変色し始めるように)なっているし、ここも割れてるし・・・そろそろカビも生えてきているんじゃないかな。屋根を直さないと、どうしようもないけど、業者さんがなかなか来てもらえない」 子どもがいない浅田さんは、夫とその両親との4人暮らし。 実は自身も、能登半島地震の被災者の一人です。 あの日は釜石市に帰省していましたが、珠洲市の自宅は一部損壊。 屋根瓦がはがれる被害を受けました。 「やっぱり修理代はかかるんですね。だからそういう部分が貯えのある方はいいんですけど、なかなかちょっと・・・うん十万(円)の世界じゃないと思うんですね。そんなことを考えたり」 浅田さんが業者に屋根の修理を依頼したのは8月ごろ。 しかし、今も着工には至っていません。 市内外の建設業者が公費解体や被災した家屋の修繕にあたっていますが、能登半島全域にわたる被災地域の広さに、マンパワーが不足しているのです。 「ソファーの上に一年ずっと寝てきてて」 「でもそうやってでもここには住めるのでね。そう思うことにしてます」 そう自分に言い聞かせながら、彼女が思いを寄せるのは、辛い経験をした教え子たち。