「ダメ人間」だった頃の〝はたちメシ〟「食」に興味はなかったけど… 居酒屋の出会いで変わった人生
しかし24歳のとき、母親の営む居酒屋を手伝ってから人生が変わり出す。 「祖母の具合が悪くなって、母が夜の営業に出られなくなって。で、週3ぐらいでバイトに入ることになったんです」 周囲は風俗店も多いエリアで、店の客筋に最初は閉口したという。 「濃い人ばっかりでねえ、物の言い方もきついしガラ悪いし(笑)。はじめはイヤでイヤでしょうがなかった! ずる休みすることもあったけど、一緒に働いてた、まるさんいう人に救ってもらいました。優しい人なんです」 仕事が面倒だな……と気持ちがふらつくとき、「雅彦、ちゃんと働こう」と折々で励ましてもくれ、生活の軌道修正に大きな役割を果たしてくれた9歳年上の「まるさん」。 その思い出を語るとき、河上さんの目の表情に温かいものがようやくあらわれて、いい人生の出会いがあったのだな……と感じられ、なんだか聞いていてうれしくなった。 その後に居酒屋でフル勤務となり、レシピ本やネットを使って我流で料理を覚えていく。勤めて3年目ぐらいから「いい店やね」「このメニュー、おいしいなあ」なんて声も増え、客も増え、やりがいを感じた。そして28歳のとき、結婚する。 「結婚まではね、稼いだ金を全部ギャンブルにつぎ込むようなこともあったんです。でもさすがに、もうちゃんとしなアカンなと」思い至った。 今年(2024年)の6月、独立して一国一城の主に。 「ちょうど1年前ぐらいに、ここの大家さんから『空くけど、やらない?』って話をいただいて。独立する気はなかったけど、この場所ならやってみたいと思ったんです」 大家さんは以前の店のお客さん。河上さんの仕事ぶりや人柄を気に入って信用したからこそ、物件を任せたいと思ったのだろう。営業時間に訪ね直せば、開店の17時台から9席のカウンターは満席。 「マー君、酎ハイちょうだい」 「春巻きまだある、マー君?」 常連さんは皆、下の名前の「雅彦」から「マー君」と呼んでいる。愛されているなあ。はいよ、と手際よく酒や料理を作って出す目は精気にあふれていた。 「いまはもうこれ(居酒屋の仕事)しかないですね。他にしたいこともないし(笑)、認めてもらえるから」 古巣の居酒屋は徒歩で5分ぐらいの距離。河上さんのお店とはしごする客がとても多いという。そして、まるさんとは今でも家族ぐるみのつきあいが続いている。 さて25年前によく食べていた『なか卯』のカツ丼を前に、いま何を思われるだろうか。 「いまでも大好きですよ。ただ食べられる量は減ってきましたねえ。もう大盛りチョイスはないなあ。胃もたれもちょいちょいあるしね。昨日は焼き魚に肉じゃがなんて献立だったのに、今朝胃もたれしてて、『なんで?』って(笑)」 休みの日は、中2と小2のお子さんたちと公園やゲームで遊ぶ時間が楽しい。 「ふたりを大学まで不自由させないように働かないと。60歳ぐらいまでは元気でいないとなあ。健康に関してなんにも考えず来たけど、そろそろ考えないとあきませんね」 <取材・撮影/白央篤司(はくおう・あつし):フードライター、コラムニスト。「暮らしと食」をテーマに、忙しい現代人のための手軽な食生活のととのえ方、より気楽な調理アプローチに関する記事を制作する。主な著書に『自炊力』(光文社新書)『台所をひらく』(大和書房)『のっけて食べる』(文藝春秋)など。2023年10月に『名前のない鍋、きょうの鍋』(光文社)、2024年10月に『はじめての胃もたれ』(太田出版)を出版>