「ダメ人間」だった頃の〝はたちメシ〟「食」に興味はなかったけど… 居酒屋の出会いで変わった人生
二十歳の頃、何をしていましたか。そして、何をよく食べていましたか? 久しぶりに食べた「はたち」の頃の好物から、あなたは何を思うでしょうか。 【画像】「ダメ人間」だった頃の〝はたちメシ〟を前に、変わったことは 今回は、当時の自分を「ダメ人間の極み」とバッサリ切る、居酒屋店主の「はたちメシ」です。 <河上雅彦さん:居酒屋店主。1979年、京都府左京区生まれ。高校卒業後、喫茶店勤務などを経て25歳から居酒屋で働き料理を覚える。2024年6月に独立、中京区材木町に居酒屋『かみや』をオープン。現在京都市内に妻、息子、娘と暮らす>
「二十歳の頃の自分ですか? うーん……ダメ人間の、極みでしたね」 笑顔を見せながら、突き放すような、少し自分をあざけるような口調で河上雅彦さんは言った。 ここは京都、居酒屋の店主である河上さんは現在45歳。カウンターには今晩のメニューとなるハンバーグや炊き込みごはんの具材が並び、その仕込み中に話を聞いていた。 「高校出てから19歳で実家も出て、ボロアパートに住んで転々として。当時はパチンコ、パチスロ、麻雀が好きでねえ。一時はパチプロになろうと思ってて、実際わりとそれで生活出来てた時期もあったんです」 金回りのよいとき、大学に進んだ友人たちにおごってあげることも多かった。 「だから引け目も感じずに過ごしてました。当時といえば食には全然興味なくて。一番食べてたものは『なか卯』のカツ丼。あとはコンビニめしか『やよい軒』ですかね」 河上さんの“はたちメシ”のローテーションは、チェーン店の丼ものか定食、あるいはコンビニフードだった。当時を思い出すその目が心なしかうつろに、寒々しく感じられる。 あまり思い出したくないことを聞いているのだろうか……と思ったとき、「とにかくどないしたらラクして稼げるか、ばかり考えてた頃です」と続けられた。もしかしたら犯罪者になった可能性だって、とも。 「悪い友達もいたんですよ、実際に警察の世話になったのもいるしね。たまたま自分はそういうことに誘われず、関わらずに来られた」 あのときもしも……と考えて怖くなるようなこと、人生では何度かある。20歳前後という学生から社会人への移行時期は、彼にとって「とにかくフラフラしてて」、迷いの多き日々だった。