高齢者が「成熟者」と呼ばれる少し先の未来が舞台の『あきらめる』で解ける呪い(レビュー)
本の帯に「ゆるSF」とある。 小説の舞台は近未来らしい。火星移住が始まっていたり、分身ロボットが街を歩いていたり、育児支援がいまより手厚かったりするが、基本的には人々の暮らしぶりも悩みも、それほど違っているわけではない。ディストピアでもユートピアでもない、現代社会と少しだけ異なっている、あくまでいまと地続きの未来である。 おもな登場人物は五人。高齢者(この未来では「成熟者」と呼ばれている)の雄大。五歳の龍。龍をひとりで育てている輝(あきら)。龍の友だちになる同い年のトラノジョウ。病気で身体の自由を失いつつある動画制作者の博士。同じ街で暮らしている彼らと、彼らの周りの人たちの人生が次第に交差する。交差する中でゆるやかに影響を及ぼしあい、火星をめざすようになる。 タイトルにもなっている「あきらめる」は作中にもたびたび出てきて、その使われ方が面白い。知り会ったばかりの雄大に向かって輝は「私は、自分の人生をあきらめたいんです」と言う。「あきらめたくない」ではなく「あきらめたい」。雄大もその少し前、「あきらめる」について考えていたところだった。 古語の「あきらむ」はいい意味だったらしいと輝は雄大に教える。漢字で「諦める」と書くか「明らめる」と書くかで意味はおのずと定まるが、登場人物が口にする「あきらめる」はひらがななので、これはどちらの意味だろうと読者は一瞬、とまどうのではないか。 たぶん、どちらでもある。 なにかが明らかになって初めて、断念することができる。「いい親になる」や、「親的なものに認められてこそ」といった、自分にかけられた「呪い」のようなもの。本質を知り、断念することでその「呪い」を解くことができる。ひとつの言葉の二つの意味が小説の中で重なり、きれいにつながる。 [レビュアー]佐久間文子(文芸ジャーナリスト) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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