小6長男に叫びながら続けた心臓マッサージ「戻ってきて」…事故で亡くした母の“命の講演会”
わが子の死というのは自分の死と同じです。それ以上かもしれません。自分の過去現在未来のすべてが奪われてしまいます。貴弘がいなくなってからというもの、どこにいても何をしていても思い出されてしまいます。もうこの世にはいないし、死んでしまったんだという現実をなかなか受け入れることはできませんでした。そしていつかまたひょっこりと目の前に現れるのではないか、「ただいま」って家に帰ってくるのではないかとそう思う時もありました。いつでもどこにいても思い出されてしまい、その度に涙が溢れました。でも、どれだけ泣いても叫んでも貴弘が戻ってくることはありませんでした。 子供部屋もそのままの状態で、勉強道具、洋服やおもちゃ、歯ブラシに至るまで、何一つ貴弘のものを片付けることはできませんでした。それから買い物に行っても好きなものを見ると、もう食べさせてあげられないと思うと悲しくていられませんでした。それから一緒に遊んだ公園や思い出のある場所へ行っても、その楽しかった時のことがよみがえり、もうその場にいられずすぐ帰ってきてしまうということが何度もありました。今思えばその当時は、ただ普通に当たり前の生活をするということが本当に辛くて、自分の心に重い蓋をしない限り、とても生きていく自信はありませんでした。 ■息子の死が教えてくれたこと 瀬戸内寂聴さんの言葉に「私たち人間は生まれたときから死という種を体内に抱えている果実のようなもの」というものがあります。人間は生まれてきた以上必ず死を迎えます。これはみんなに平等に与えられてきているものです。でも私は理不尽に命を断ち切られる死ということをとても認めることはできないと思っています。 皆さんは自分が突然死ぬということを考えたことはありますか。また、家族や友達が突然死んでいなくなってしまうことを考えたことがあったでしょうか。どちらかというとそんなことは考えたくはないですよね。私もいままで正直なところ自分の子供が自分より先に死んでしまうなんて、そんなことは考えたことありません。だからそんなことを想像したことすらありませんでした。