【高校野球】青森山田のエース右腕・関浩一郎と4番・原田純希内野手が亜大合格…4年後のプロ入り目指す
今年の甲子園で春8強、夏4強に進んだ青森山田(青森)のエース右腕・関浩一郎と4番・原田純希(あつき)内野手(ともに3年)が東都大学野球の強豪・亜大に合格したことが18日までに分かった。関は最速160キロ、原田は大学ジャパン入りを目標に4年後のプロ入りへ意欲をみせた。 亜大でも信頼されるエースになると、青森山田・関は言葉をつないだ。「関を投げさせたら勝てる、と思われたい。(青森山田では)信頼されていたのが大きかったし、大学でもそのレベルまでになって勝てる投手になりたい」。8強入りした今春センバツ、過去最高成績の4強入りした夏の甲子園ともエースナンバーを背負って力投。その右腕で何度も勝利を引き寄せた。 経験を積み、自信に変えた3年間だった。同学年には中学時に日本一となった青森山田シニア出身者が数多くおり、「自分がどのくらい通用するのか分からない状態だった」。だが仲間たちと競い合って成長を遂げ、背番号1で聖地のマウンドに立つまで力をつけた。「自信がついたし、想像していたよりも成長できたと思う」と胸を張った。 今夏の青森大会決勝・弘前学院聖愛戦で自己最速の152キロを計測した。「(150キロを)目標にはしていたけど、夢(のような数字)なのかな…、とも思っていた」と明かした関は、「次は160キロが目標です」ときっぱり。現在はウェートトレを中心に基礎体力強化に取り組み、大学4年間を戦い抜ける体づくりを意識している。 最大の目標は4年後のプロ入りだ。「やるべきことを具体的に考えていきたい。環境が変わるけど、一番は自分の感覚を大事にしてやっていきたい」と意欲十分。巨人育成4位の弘前学院聖愛・吹田志道投手(3年)ら、青森県内で戦った相手で先にプロ入りした選手もいるが、「大学でしか味わえない経験もある。それを強みにして即戦力として(プロに)入っていきたい」と力強く語った。青森山田のエースとしてつかんだ経験と自信を胸に、4年間でさらに実力を伸ばしていく。(有吉 広紀) ◆関 浩一郎(せき・こういちろう)2007年3月8日、青森県生まれ。17歳。沖館中では青森戸山シニアに所属。青森山田では1年秋から公式戦ベンチ入り、2年秋から背番号1。3年春夏の2度甲子園出場。直球の最速は152キロ。187センチ、92キロ。右投右打。 レベルが上がっても己の武器は決して忘れない。「スイングの強さが持ち味なので、そこをしっかり発揮できるようにしたい」と、青森山田・原田が意気込みを語った。不動の4番として打線を引っ張り、今年の甲子園での春8強夏4強に大きく貢献。大学でも力強い振りでアピールする。 現在は「木製(のバット)に慣れることが一番」と1、2年生の全体練習後、毎日のように打撃練習を行っている。今春から新基準の金属バットが採用された関係で木製バットを使用していた同級生もおり、原田自身も春先に一度使ったことがあったが「少し怖さがあって全力で振れなかった」。しかし亜大に練習参加した際にオープン戦を見る機会があり「(先輩たちは)速い球にも振り負けていなかった。あのくらいやれないとダメなんだ、と思った」と意識を高めて取り組んできた。木製バットを巧みに操れるようになって、高校時と変わらぬ強打を大学でも発揮していく。 亜大は昨秋の明治神宮大会出場時に練習場所として使ったことがあり、「とてもいい施設だな、ここでやればプロに近づけるんじゃないかな、と思った」と話した。4年間の目標として「大学ジャパンに選ばれてスタメンで出る。(そのためにも)打撃でチームの勝利に貢献できるように、主力としてやっていけたらいい」と掲げた。大学で日の丸を背負うほど力をつけて、プロの舞台へ。原田が自身の一振りで将来へつながる扉をこじ開ける。 ◆原田 純希(はらた・あつき)2006年9月30日、青森県生まれ。18歳。平賀東中では軟式野球部に所属。青森山田では1年秋から公式戦ベンチ入り。3年春夏の2度甲子園出場。高校通算28本塁打。170センチ、97キロ。右投左打。
報知新聞社