展望台から約70メートル下はいきなり濃い色の海! どことなくフレンチ・カントリーの趣がある勝浦灯台
イレギュラーな体験こそが旅の醍醐味
「ナビに住所入れて、言われた通りに走ってるんですけど」 編集長は困惑した様子で言った。 「案内される先が、なんか違ってて……」 折しもナビが、 〈目的地に到着しました〉 と高らかに宣言する。しかし窓の外を見やると、巨大な廃墟。おそろしく荒れ果てた七階建てのホテルだかマンションだかが、草の蔓に覆われ、濃紺の夜空を背景に黒々とそびえているだけだ。 再び国道へ出てやり直しても、また同じ廃墟へと連れて行かれ、 〈目的地に到着しました〉 ……やだ、怖い。 とうとう、あたりを三周する羽目になった。この世ならぬものの力が働いて、私たちをなんとしてでもその廃墟に取り込もうとしているみたいに思えてくる。ホラー系の話がとにかく苦手な私はこの時点で全身鳥肌、ナビを一切無視することでようやく正しいお宿にたどりついた時には、今だから言うけれどちょっと泣きそうだった。残る二人も、後ろのトランクから荷物を下ろしながら、ひどく疲れた顔をしていた。 とはいえ、こういうイレギュラーな体験こそが旅の醍醐味(だいごみ)であることもちゃんとわかってはいるのだ。アクシデントとまではいかない、ハプニング程度の出来事。その時限りの特別な記憶がフックとなり、時間がたった後でもその前後のあれやこれやを引っ張り出してまた味わうことができる。 なまぬるくだらしない潮の香りや、浜辺の宿の枕元に夜通し届いていた波の音や、夜明けとともに黄金色に輝きだした海面の眩しさや……。 あの晩、三人で食べに出かけた地元のお寿司は、とてもとても美味しかった。
高台の展望広場へ
翌朝もみごとに晴れた。 後出しじゃんけんのようだが、〈晴れ女〉としての実績は着実に積み重ねてきた自負がある。人生において、雨傘というものをさす頻度が極端に少ない。 肌に痛いほどの陽射しの下、この日いちばんに訪れたのは、太平洋に突き出た岬の突端にある八幡岬(はちまんみさき)公園だった。 上ってゆく遊歩道の右手の崖は切れ落ち、その下に海が広がる。波と風に浸食された岩肌が延々と連なる様子は、アイルランドあたりの茫漠とした風景を思わせ、けれど波間に浮かぶ岩には小さな鳥居が立っていて、ここがまぎれもなく日本であることを教えてくれるのだった。 まち歩き観光ガイドの石嶋健司(いしじまけんじ)さんと落ち合い、高台の展望広場へと案内してもらった。お年を召していらっしゃるのに、歩きづらい木の階段を先に立ってすたすたと上って行かれる。 五分ほど歩くと、ぱっかーんと眺望がひらけた。水平線はゆるやかに湾曲し、視界のほとんどが海と空の青に埋め尽くされる。 「よくわかるでしょ。地球が丸いということが」 石嶋さんが言った。 広場の端には、尼の姿をした女人の銅像が立っていた。上総の戦国武将にして勝浦城主であった正木頼忠(まさきよりただ)の娘で、のちに徳川家康の側室となった〈お万の方〉だ。孫は水戸光圀、曾孫は将軍吉宗。石嶋さんはごく自然に「お万(まん)の方さま」と呼んでいた。 十四の頃、城を攻め落とさんとする家康の手勢から逃れるため、彼女はこの東側の崖に白いさらし布を長々とたらし、片側を松の木に結びつけた。そうして母親や弟とともに布を伝って海に下り、待っていた家臣の小舟で親戚のいる伊豆へと逃れたという。 崖のてっぺんから海までの高低差は三十七メートル。言い伝えが本当であるなら、少女の頃から肝の据わったひとだったことが窺(うかが)える。 鴨川に住んでいた頃にもいろいろと耳にしたが、このあたりには歴史上の人物にまつわるこうした伝承がじつに多くて面白い。源頼朝とか、日蓮聖人とか、八犬伝でおなじみの里見氏とか……。