「休めよ、あほちゃう?」私にとって「死」がはじめて現実味を帯びた2年前の夏【坂口涼太郎エッセイ】
コロナ流行下に、お涼さんが倒れた日のこと
その頃の私は生活に困窮していて、筋肉をつける為のプロテインや食費、上半身を脱ぐシーンがあったのでアトピー時代の傷跡を消す為に皮膚科で肌の治療をする医療代、それに伴う化粧品代、現場に行く為の電車代、その他家賃税金水道光熱費を支払っていたら、あれよあれよとお金はなくなっていき、アルバイトをしなきゃいけないけれどする時間も気力も無く、撮影現場に行けば、炎天下のものすごく広い野原で重装備をつけた訓練シーンでも「マスクをしてください」と言われ、窒息しそうになりながらリハーサルをこなし、銭湯に行っても部屋でストレッチをしても体の疲れが取れず、マネージャーお福に「給料を上げてください限界です」と長文のLINEを送ったあと、倒れた。 最初は食べ物が食べられなくなり、食べても胃の中にずっと食べ物が残留してお腹が膨らんだまま動かない。次第に体が重く動かなくなって、全身筋肉痛のような塩梅で壁をつたって歩くようになり、熱はないのに鼻や喉が痛くなり、まずは耳鼻科で薬をもらったあと、一応内科も受診しに行き、「食べ物が食べられなくて、胃とか体が重いんです」と先生に訴えたら胃薬と風邪薬を処方されるだけだったので、普段はそんなこと言わないのにそのときは無意識の直感で「一応血液検査をしてもらってもいいですか?」とお願いしたら、先生はあんまり乗り気ではないような感じで、まあいいけど必要ないと思うよ、と言いながらも採血をしてくれた。 翌日、メイク室に行って自分の顔を見れば黄土色をしていて、よく見ると白目の部分も黄色くて、メイクさんに、「え、なんか今日、俺目ん玉黄色くない? こんなん初めてやねんけど。徐々にシンプソンズみたいに全身が黄色くなっていくんやろか?」と笑っていたら、昨日受診した内科から電話がかかってきて、「今すぐに入院してください。このままだと死にます」と昨日は飄々としていたはずの先生が切迫した感じでおっしゃってきて、私は、え? なんで? そんな急に入院とか無理やし、てか今連ドラの撮影中やし、ちょうどこれから私がメインの回の撮影に入るし、入院できても2~3日ですけど、という感じで、「ちょっと今すぐに入院は無理なので、通院でどうにかお願いします」と言えば「肝臓の数値が基準値の1000倍に達していて、このまま動き続けると劇症化して死んでしまう恐れがあるから今すぐに入院してください。死んでもいいんですか?」と強く訴えてこられて、その時に私が反射的に思ったのは「死んでもいいからみんなに迷惑をかけたくない」という気持ちで、まだ死ぬかどうかわからへんし、このまましんどさを我慢して私が耐えて、何事もなかったらそれで万事OKやん、という考えで、そんなことを思っているうちに出番になり、スタッフさんに撮影現場に呼ばれたので、ひとまず電話を切って、お芝居をしにみんなのところへ戻った。 私はみんなとお芝居をしながら、「ほんまに死ぬんかなー」と、ぼんやり思ったり思わなかったりしていて、しばらくみんなのことをじいっと見ていたら、みんなやっぱりすごくすてきな人たちで、優しくて、おおらかで、私はみんなのことが大好きやなあ、なんてことを改めて自覚していて、もし私が今死んでしまったら、みんなにとってそれが一番迷惑なんじゃないかということをぼんやり考えはじめていた。今こんなにおもろい話をして盛り上がって涼ちゃんほんまやめや、みたいに楽しい時間を過ごしているのに、私がどろどろの状態で白目を黄色くしながらゾンビのように這いつくばって現場にいて、もし「涼ちゃん突然亡くなりました」みたいなことになったら、それこそむちゃくちゃ迷惑やん。死ぬかもしれへんってわかりながらどろどろでここにおるなよ、休めよ、あほちゃう? なに死んでんねんって思うやろうな。 みんなとお芝居をしたあと、スタジオを出て、マネージャーのお福にさっき私が告知された今の私の体がどうなっているかという状況を電話で説明して、ひとまず明日大学病院に精密検査を受けに行くことになり、私はやっぱり翌日、緊急入院という形でその病院に入院することになった。 〈後編に続く……〉 文・スタイリング/坂口涼太郎 撮影/田上浩一 ヘア&メイク/齊藤琴絵 協力/ヒオカ 構成/坂口彩
坂口 涼太郎