「休めよ、あほちゃう?」私にとって「死」がはじめて現実味を帯びた2年前の夏【坂口涼太郎エッセイ】
日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは「永遠を解く力〈前編〉」です。お涼さんが短歌を詠み始めたちょうどその頃、実は価値観を変えるようなとある出来事があったのでした。 【写真】日常こそが舞台。自宅で「お涼」ルーティーンを撮り下ろし 短歌を詠み始めて4年が経ちました。 2020年4月6日に「#涼短歌」と名付けてSNSに投稿したのが私の歌人としてのスタートで、いままでもう何首詠んだのかわからないけど、日々のちいさな発見や不思議さやおもろさ、悲しみや痛みや切なさや素敵さをその都度ポラロイドカメラで写真を撮って自宅の壁に貼ってゆくように留め、歌にして残してきた。 短歌を詠み始めたきっかけは笹井宏之さんの『えーえんとくちから』という歌集を書店で手に取りページを開いたとき、一番最初に目に入ってきた 「えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい」 という歌を読んで、書店の中にいる自分がまるで宇宙に漂う星になったような、広くて深い森にある一本の木になったような、海岸の砂浜の砂の一粒になったような、果てしなくて小さくてちっぽけで儚いけれど、永遠にそこにある、居るかもしれないことを悟ったときの畏れみたいなものを感じて、しばらく本を開いたまま動けなくなり、短歌ってものすごい! と興奮して、すぐさま家に持ち帰り、ひとつの歌に何時間も立ち止まりながら自分の記憶の世界を百周旅行したあと、俺もつくりたい! とベランダに出て夕日を見ながら歌をつくり始めたのがきっかけだった。 そんなすばらしい歌をこの世に贈ってくださった笹井宏之さんは自分以外のすべてのものが意識とは関係なく毒のように感じてしまい、それが身体症状となって彼を寝たきりにさせてしまう重度の身体表現性障害(現在は身体症状症と改称)を患い、26歳でこの世を旅立たれた。 今生きている人への贈り物のように、こんなにも日々の些細なことが愛おしくて不思議で二度とないかもしれない特別さに満ちていることに笹井宏之さんは気がつかせてくれて、私はほんまにほんまにありがとうの気持ちでふくらんで、空高く登っていけそうなほど感謝しています。 私にはじめて「死」というものが現実味を帯びて目の前に、耳に、体中に届いて反響したのは2年前の夏。ちょうどその頃、自衛官候補生の役を演じるドラマを撮影していて、とってもすてきな仲間たちと毎日体を動かし、奮闘していた。