家系を隠し続けたDAIGO、それを解禁した理由とは?
氷室との初対面でホメられた“運命のチャック”
氷室との初対面の瞬間は今もDAIGOの胸に深く刻まれており、「お会いしたのがホテルの一室だったんですけど、扉をノックしたら氷室さんがドアを開けて『どうも、氷室です』と丁寧にあいさつしてくださって。とりあえず、自分のポスターとかCDとかをお渡ししたら、氷室さんがそのポスターを見て『DAIGOくんっていちいちカッコイイよね。力になってあげたいな』という感じのことを言ってくださって」。 さらには、こんなエピソードも…。 「当時、僕がライブでズボンのチャックを空けて、履いていたヒョウ柄のパンツをちょっと“見せパン”みたいな、沢田研二さんぽい感じでやっていたことがあったんですけど、それを氷室さんが知っていて、『あれ、ジュリーっぽいよね?』と言ってくださって。『目の付け所が良いよね』という意味なのかは分からないですけど、とにかくすごくホメてくださって。『もし、あのチャックが閉まっていたらどうなっていたんだろう?』と今考えても怖いし、まさに“運命のチャック”だったなと(笑) まあ、それがすべてだとは思わないですけどね」 この出会いをキッカケにDAIGO☆STARDUSTは氷室の楽曲提供により、03年に『MARIA』でメジャーデビューを果たす。残念ながらDAIGO☆STADUSTとしてブレイクを果たすことはできなかったが、それでもDAIGOは「本当に氷室さんがいて、メーカーとか事務所とかも決まって、僕もメジャーデビューができたので。すごいことだし、今でも本当に感謝しています」と真剣なまなざしで語る。30歳の遅咲きのブレイクまで音楽を続けていた理由の一つにも“恩人”の存在があったと言い、「やはり氷室さんの楽曲提供で世に出て、すごいチャンスを頂いて、結果を出せないまま終わるのは嫌だったですしね。『まだ終われないな』という思いもありました」と回顧する。
今も続く“恩人”氷室との交流
氷室とは今でもメールなどで連絡を取り合う仲だそうで、「6~7年前、僕がバラエティー番組に出始めていた時も『活躍してくれて本当にうれしいよ』という感じで言ってくださって。写真集の仕事でL.A.に行くことがあって、氷室さんの家で食事を御一緒させて頂いたんですけど、曲を書いて頂いていた当時、氷室さんには僕の家系のことは一切言っていなかったので『そうだったんだね』とその話題で盛り上がりました。本当にいつも優しいリアクションをしてくださいます。『BREAKERZ』の結成2周年で日本武道館のステージに初めて立った時、『ライブハウス武道館へようこそ!』と伝説のフレーズを言わせてもらったんですけど、あれも氷室さんの公認です」と感謝する。 DAIGOにとって、氷室は今も尊敬してやまないカリスマであり、自身のミュージシャン人生を切り開いてくれた恩人のようだ。 【取材後記】今回の新曲のみならず、これまでも数多くの曲の作詞、作曲を手掛けているDAIGO。最近はプライベートでもおめでたい話題が出ているが、「恋愛の曲の作詞にはプライベートの影響も出る?」と質問をぶつけてみると、「すべてではないですけど、これは自分の経験だなという曲もあるし、もちろん、後々(影響)してくる作品もあるとは思うんですけどね」とのこと。さらに、「親しい人に歌詞の相談をすることは?」と聞いてみると、「出来上がればそれは自分の限界まで突き詰めた歌詞なのでいいと思うんですけど、途中で見せるというのは一番恥ずかしいことですからね。途中の段階の歌詞と全裸を見せるのだったら、全裸を選ぶかもしれないです」と冗談交じりに話していた。