家系を隠し続けたDAIGO、それを解禁した理由とは?
出演交渉からグッズ製作まで孤軍奮闘の下積み時代
こうした結論に至った背景には、18歳から歩み続けたミュージシャンとしての苦難の道のりがあった。 中学3年生の時に聴いた『BOOWY』の『Marionette』に衝撃を受けて、ロックに目覚めたDAIGOは、高校時代に学校の音楽好きの仲間と『JZEIL(ジェイル)』を結成。同バンドは評判を呼び、所属事務所もついてインディーズからCDもリリースされる中、ボーカルのDAIGOも大学を中退し、音楽活動に専念して高みを目指した。 だが、「メジャーデビューの話も頂いていたんですけど、一緒にやるはずの会社(の経営)が上手くまわらなくなって。そこからちょっとバンドもギクシャクし始めて。結局、みんなで話し合って解散することになって…」。 それでも、音楽の道をあきらめきれなかったDAIGOは、DAIGO☆STARDUSTという名前でソロ活動を始動するも、「バンドの解散と同時に事務所の契約もなくなったので。ライブハウスに電話して出演交渉をしたり、別の方のライブに出させて頂いて歌わせてもらったり、自分で作ったCDやグッズを関係者の方に渡したり、色々とやっていましたね」と孤軍奮闘の日々が続く。 そうした地道な活動の中で、ある写真家との出会いが運命を大きく左右する。 「カメラマンの加藤正憲さんという方に出会って。ライブがある日とか、仕事にもならないのにセルフで来てくれて僕の写真を撮ってくださったりしていて。本当にすごく素敵な写真を撮られるんですけど、その方が氷室さんの写真も撮っていらっしゃって。ある日、加藤さんから『明日空いている? “ヒムロック”が会いたいと言っている』と電話があって。僕がロックを始めるキッカケを作ってくれた憧れの人であり、永遠のカリスマの氷室さんが自分に会いたいと言ってくれている。もうどんな用事があろうが、最優先で『会いに行きます!』という感じじゃないですか? とりあえず自分のCDとかポスターとか、持てる物を持って会いに行きました」