原子力分野で働く女性の割合、日本は断トツの最下位! 「女の命は短い」「3年は居ろ、5年は居るな」と言われた女性研究者
こうした考え方はこの男性教授に限ったことではなかった。就職後、管理職の立場にある教授からは「3年は居ろ、5年は居るな」と言われたこともあった。「良い方向に解釈すると、『早くいい人を見つけなさい』という意味かもしれないが、私は研究をして働き続けることが夢。『志がありますから』と言い返した」 東京工業大の研究生を経て1981年、環境中の微量な元素を分析する技術に興味を持ち、東京都市大の原子力研究所に技術員として就職した。 「分析屋さん」と自称する専門分野は放射化学。熱出力100キロワットの研究用原子炉に高純度のシリコンやアルミニウムなどを入れて放射線を照射し、取り出して分析するのが仕事だった。 産業界の依頼を受けて、パソコンのメモリーなどに用いられる半導体材料の不純物となる放射性物質を取り除くため、1兆分の1グラム単位の放射性物質を測定する分析手法の開発などに取り組んだ。 自分の仕事ぶりについて「男の2倍働いてやると思っていた。実際は1・5倍だったかな」と振り返ったが、男性と比べると昇進は遅かった。授業を担当する講師になったのは41歳、准教授になったのは54歳だった。岡田さんは「一般的に男性の場合は40代前半で准教授、40代後半に教授になるケースが多いと思う」と話した。
原子力分野で働く女性の昇進が男性に比べて遅いことは、NEAの調査結果にも表れた。2021年に昇進した人に占める女性の割合は、加盟国平均で27%だが日本は14%にとどまっているという。岡田さんは「女の人が一生懸命働いてもなんか報われないな」と話した。 ▽定年まで残った女性は私1人 43歳で出産した後は、仕事と家庭の両立に苦労した。原子炉は一度動かすと、制御室に人を張り付ける必要があるためシフト制となる。岡田さんは運転中、ほぼ現場に張り付き、照射と測定を繰り返す。自分の研究に加え、受け持ちの授業とその準備にも忙殺された。夫は長期出張が多く、札幌市に住む母親のサポートで育児を乗り切った。 だが岡田さんは研究をやめようとは思わなかった。その理由について「自分の仮説に(研究結果が)近づいていったら面白い。楽しいことはやめられない」と話した。一方、原子炉が動いていた1980年代当時、原子力研究所には8人の女性がいたが、定年まで残ったのは岡田さんだけだった。