「煽り」とか「大袈裟」とか言われたりもするけれどーー「コロナの女王」岡田晴恵の本音
ダイヤモンドの心を持たなければ、生き抜けなかった
岡田が声高に危機管理を叫ぶほど、ネットではアンチコメントも噴出した。バッシングに傷ついたか、と尋ねると、複雑な表情を見せた。 「……自分のことは、どうでもいい。それよりも情報。論文を読むんですよ。SNSを見るよりも、自分の仕事の方がすさまじいんです」 「週刊誌もSNSも、あなたを傷つけたいからやってくる。だから(何よりも硬い)ダイヤモンドになればいい」、岡田にそうアドバイスをしたのは東大の児玉龍彦名誉教授だ。 「本当の私は、強い人間じゃありません。裏ではよく泣きました(笑)。でも、児玉先生の一言で、自分の気持ちの持ちようなんだと。ミッションがあるんだと思えば、批判や誹謗中傷に反応している場合じゃないと。研究者の仲間が国内外にもいますし、テレビ局のディレクター、共演者、そして編集者。たくさんの理解者に囲まれていたから、やってこられたかな」
岡田は、雇用機会均等法の出た頃に社会に出た。女性が仕事の扉を開く、その皮切りだった。国立感染研究所、その後勤務した日本経団連21世紀政策研究所も、完全なる男社会。いつでも紅一点が当たり前の環境で、研究に励んだ。 「経団連の研究所にいた時、ビル・ゲイツさんと一緒に講演をしたことがあるんです。ひな壇から客席を見下ろしたら、一面真っ黒。暗い色のスーツに身を包んだ常任理事会の社長や会長、みんな男性陣がビル・ゲイツさん見たさに集まっているわけです。日本って男社会なんだな、と改めて実感しましたね。そんななか、ビル・ゲイツさんが、私を見て驚きましたよ。『この男社会の日本で、僕と講演するパートナーは女性である君なんだね』って。日本では、どんな企業でも一緒だったと思いますね。そこで残ってきた女性は、やっぱりダイヤモンドにならないと生きられなかったと思う。だから、今に始まったことじゃないですよ。コロナで傷つくわけじゃない、ずっとそうなの。今はほとんど男女平等ということになってるじゃないですか。世代ですよね。私たちは損な時代に生まれたかな(笑)」 ダイヤモンドの心を持たなければ、生き抜けなかった。そんな岡田の人生において、今回のコロナ禍での闘いは、一番大変な仕事になっただろうか。 「いや、そんなことは全然ないですよ。一番大変だったのは…自分のことではないですね。学生の相談を受けて、一緒に悩んだりしたことかな。人のことの方が大変。自分ごとなら、自分でなんとかすればいい」