「尾張名古屋はヘルスでもつ」店舗数全国一の名古屋ヘルスが〝フーゾク文化遺産〟である理由とは
’23年12月、副業で名古屋市内の性風俗店に勤務していた四日市市上下水道局に勤務する30代の女性職員が、地方公務員法で規定されている〝副業の禁止〟に違反するとして、停職6ヵ月の懲戒処分を受けた。昨年10月に市に対し匿名の情報提供があり、女性職員に確認をしたところ性風俗店での勤務を認めたという。 【画像】すごい…名古屋を代表するゴージャスな大型ヘルス店 女性職員は’21年9月ごろから’23年10月までの間、名古屋市内の性風俗店2店舗に勤務し、およそ600万円の収入を得ていた。四日市市上下水道局の聞き取りに対し、「軽い気持ちで副業を始めた。生活費の一部にあてていた」と話している。女性職員は’23年12月15日付けで依願退職した。 この女性職員がわざわざ三重の四日市から名古屋まで働きに出かけていたのは、”身バレ”を防ぐためだけではないだろう。それだけ名古屋は風俗店の数、種類ともに全国トップレベルであり、”稼げる”土地でもある。前述の女性職員も、実際に約2年間の副業でおよそ600万円を稼いでいる。 そんな名古屋の風俗店の代表格が、〝店舗型ヘルス〟だ。地元の好事家に〝尾張名古屋はヘルスでもつ〟と言われるほど人気を呼んでおり、店舗数は日本一を誇る。 なぜヘルスが名古屋の風俗店の代表なのだろうか? その答えは法律にある。名古屋にこれほど多くのヘルスが誕生した理由は、1985年2月13日に施行された新風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)が影響している。新風営法ではヘルスは風俗関連営業(〝許可〟が必要なものではなく、〝届出〟のみが義務づけられたもの)であり、条件をクリアしていれば申請するだけで営業ができたので、条件をクリアしていた空き店舗が次々と申請された。愛知県では出店規制の条例が出されなかったことから、営業禁止区域以外は申請するだけで店を作れたため、いろいろな場所にヘルスができた。 1991年のバブル崩壊によって、錦3丁目を中心とした繁華街の広いスペースに出店することが可能となり、内装を豪華にしたり、特徴を持たせたヘルスが出始めた。雑誌などメディアへの露出が増え、一般女性に対してヘルスという業種が浸透してくると、ソープと比べてサービスがソフトということもあり、多くの一般女性が働き始め、在籍嬢のレベルは格段に向上した。 1996年9月に愛知県では条例で県内でのヘルスなどの個室マッサージの新規出店が全面禁止となったのだが、条例が施行される直前に出店ラッシュとなり、県内のヘルスは300店を超えた。1996年をピークに他業種との競合や不景気などにより店舗数は減少していき、’12年には愛知県内で200店弱に、’24年現在は県内で約115店、名古屋市内で約95店となっている。 名古屋のヘルスで遊ぶには、コース料金や指名料とは別に〝入場料〟が必要となる。金額は主に2000円ほどとなるが、1000円ほどや無料の店もある。この〝入場料システム〟は名古屋独自の文化となっており、地元客は当たり前のように受け入れている。普段の感覚より若干追加料金が必要となる場合が多い。 名古屋は、単にヘルスの店舗数が多いだけでなく、各店舗の個性も際立っている。独自の進化を遂げたマットヘルス、そしてイメージプレイや〝花びら回転〟など、店舗型風俗が主流だった昭和後期から平成前期の面影が今も残る。日本の貴重な〝フーゾク文化遺産〟としての側面も持っているのだ。 有料版【FRIDAY GOLD】では、名古屋ヘルスを代表するマットヘルスの名店や、個性豊かなヘルスグループ、〝花びら回転〟などユニークな店のリストを紹介している。 取材・文:生駒明 ペンネームはイコマ師匠。風俗情報誌『俺の旅』シリーズの元編集長。徹底した現場取材をモットーとし、全国の歓楽街を完全踏破。フリーの編集記者として、雑誌やサイトの記事、自らのSNSなどで『俺の旅』を継続中。著書に『フーゾクの現代史』『ルポ日本異界地図』(共著)。
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