ガストもサイゼもジョイフルも、国内店舗数はジワジワと減少中ファミレスがもはや「時代遅れ」になってきている“深い理由”とは?
以下、その点について説明していきたい。端的にいえば、ファミレスの空間の優位性とは「だらだらできる」ことにあり、それが低下してきたのではないか、ということだ。 ここで、冒頭の『花束みたいな恋をした』に戻りたい。この作品では、主人公の2人が深夜のファミレスで語り合うシーンが出てくる。これはもちろん、ファミレスが「24時間営業」していることが前提となる。 ファミレスの24時間営業の歴史は古い。1970年代から始まり、「ファミレスといえば24時間営業」というイメージも生まれてきた。実際、こうした広がりを受けて、『花束みたいな恋をした』だけでなく、さまざまな作品で、「ファミレスでだらだら話す」という場面が描かれてきた。『花束』の脚本を担当した坂元裕二はファミレス好きを公言していて、本作以外でもファミレスのシーンを登場させることでお馴染みだ。
また、星野源は2024年4月2日のオールナイトニッポンを、深夜のファミレスから生中継した。星野は「深夜のファミリーレストランが大好きなんですよ。(中略)その時にだべっている感じがすごく好きなんですよ」と言っている。「ファミレスでだらだらする」ことが、日本におけるファミレス観の一つを形成してきたことがよくわかるエピソードだ。 もちろん、深夜だけではない。昼間でも、ママ友たちがいつまで続くかわからないおしゃべりをしている風景にも出くわすし、高校生たちがだべりながら勉強している風景も見たことがある。
「だらだら、なんとなく過ごせる場所」という空間的な価値を持った存在としてファミレスはあったのではないか。 しかし、ご存じのように、このように「だらだら過ごせる」ことは、ファミレスにおける長時間労働や低賃金労働のうえで成り立ってきたことも忘れてはいけない。 実際そうしたことが問題化するなかで、2017年にはロイヤルホストが、2020年にはガストが24時間営業を撤廃している(ガストは2022年に24時間営業撤廃を一部変更し、現在ではごく一部の店舗で朝5時まで営業をしている)。また、「だらだらいる客」は、店側にとって、望ましい客でないこともたしか。都心にあるファミレスでは「90分制」を掲げる店舗もある。