聴こえない親ともっと話したくて、引っ込み思案だった僕が学校で「手話クラブ」を作った話
クラブには、市から派遣された手話通訳士の女性が講師として来てくれることになった。場所は図書室の一画。そこでぼくらは、手話通訳士さんによる手話の授業を受けるようになった。 教えられる手話はとても基礎的なものばかりだった。ときには“手話歌”と呼ばれる、ポピュラーな歌に手話をつけてうたうものも教わった。いまでも覚えているのは、『となりのトトロ』の主題歌である「さんぽ」だ。「歩こう、歩こう~」という歌詞に合わせて、手話をつけていく。 一緒に入ってくれた友人たちはとても楽しそうに手話を覚えていく。その姿を見て、心が浮き立つようだった。ぼくと母との間に“だけ”存在すると思っていた言語を、他の人たちが学んでくれている。それはまるで、ぼくと母の世界が少しずつ広がっていくようでもあった。 もちろん、“手話クラブ”を作ったことは母に報告した。 ──大ちゃんが作ったの? 初めてその話をしたとき、母は目を丸くして驚いていた。引っ込み思案で控えめな性格のぼくが、先頭に立って新しいクラブを作るだなんて、信じられなかったのだろう。 クラブで習ってきた手話を披露してみせると、母は目を細めながら頭を撫でてくれた。「さんぽ」も何度も一緒にうたった。 でも、そんな楽しい時間は長く続かなかった。 “手話クラブ”を設立して三カ月が過ぎた頃だった。放課後、いつものようにクラブ活動へ向かうぼくに、同じクラスの男子児童が言った。 「なぁなぁ、お前らの手話クラブってなにすんの?」 彼は半笑いで、唇の端を歪めていた。 呼び止められたぼくは足を止め、説明する。 「手話の勉強だけど……。手話って知ってる?」 「知らねー」 手話を理解していない彼に、一から丁寧に手話について教えてあげた。手話は耳の聴こえない人たちの言語であること。手を動かし、会話をすること。ちゃんと勉強すれば、日本語と同じようにコミュニケーションが取れるようになること。 一通り聞くと、彼は吐き捨てるように言った。 「なにそれ、変なの」 そのまま彼は走り去っていった。ぼくはその場から動けなかった。 ぼくと母をつなぐ手話が、「変なの」のひとことで全否定されてしまった。どうしてそんなことを言われなければいけないのだろう。 その日、図書室へ行くことができなかった。熱心な手話通訳士さんの前で、どんな顔をしたらいいのかわからなかった。きっと、いつものように笑えないだろう。 悔しさと恥ずかしさがじわじわ広がる胸を押さえて、ぼくは黙ってクラブ活動を休んだ。