「クローン人間」を作っても問題ない…実は反論するのがむずかしい「あぶない思考実験」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】「クローン人間」を作っても問題ない…反論するのが難しい「危ない思考実験」 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
なぜクローン人間を作製してはいけないのか?
もう一つ、考えてみたい問題がある。 「尊厳」を前述のように捉えると、クローン人間作製禁止という〈常識〉も疑わしくなってくる。なぜなら、禁止の理由として決め手のように挙げられている理由が、「人間の尊厳に反する」ということだからだ。 だが、どこが反しているのだろうか? 禁止論者は、クローン人間は元の人間の複製だから、という。 クローン人間は、本体の体細胞から核を取り出して、やはり核を抜いた未受精卵に移植し、その卵を子宮に戻して成長させることによって作製される。だからたしかにDNAは本体と一緒だが、そうだとしても人格まで同一になるわけではないから、クローン人間もかけがえのない唯一無二の個人である。 また、「尊厳」という言葉を前述の(2)の意味で、つまり、本人の自律的な思考と選択が他人によって妨げられないことと理解し、クローン人間にもそれを保障するならば、彼・彼女の存在が「人間の尊厳」に反するとはいえない。 生まれ方がどうであれ、生まれた存在を単なる手段として扱わず、その意思の自由を尊重しつつ独立した人格として育ててゆくならば、クローン人間を作製しても構わないのではないか?
変化の速い時代に必要な「哲学的思考」
価値観が多様化している今日、特定の実質的内容を主張するタイプの自然法論はさすがに万人への説得力を弱めている。 だが、科学技術や医療など進展がめまぐるしく立法が追いつかない領域では、それらと人間がどう関わるべきなのかについての方向付けが必要であり、そのために自然法という発想を活かすことができると述べてきた。 そのために、まずこの概念のコアである「人間の尊厳」をどう理解すべきなのか、人間に固有に備わっているとされる何らかの実質的価値を守るということなのか、それとも個人の自律的な思考と選択を最優先するということなのか、というところから明確にしなければならない。 変化のスピードが速い時代だからこそ、「自然法論」と「法実証主義」それぞれの立場で法を根本から考える思考が重要なのだ。 さらに連載記事<「俺は間違った法律には従わない!」「お前が法律に従わないと世の中が乱れる!」…世の中の「ルール」をめぐる「大激論」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美