小学校の先生「過酷すぎる労働環境」のとある背景 教員数を決める「学級数×係数」に改善必要な訳
文科省の認識と、平均思考の危うさ
こうした事態について、文科省はもちろん知っているし、問題意識がないわけではない。だが、私の個人的な見立てとしては、まだまだ本気度が低い。 先日8月に出たばかりの中央教育審議会の答申でも、以下の言及がある。 ○ 教師にとって、週時程の中で授業を担当しない時間が少ない場合に、教材研究を含む授業準備や成績処理等の業務を主に放課後等に行わざるを得なくなり、結果として、教師の時間外在校等時間が長くなる要因となるため、持ち授業時数が多い場合にはその軽減が必要である。 ○ 令和4年度学校教員統計によれば、教師の週当たりの平均持ち授業時数は、小学校で24.1 単位時間、中学校で17.9 単位時間、高等学校で15.4 単位時間となっており、小学校は、教師が授業にかける時間の割合が中学校及び高等学校よりも多く、持ち授業時数の軽減と業務の精選・適正化を併せて図る必要がある。 出所:文科省「令和の日本型学校教育」を担う質の高い教師の確保のための環境整備に関する総合的な方策について この記述自体は誤っているものではない。だが、こうして平均値をもとに観察することには問題がある。 ここで1つ、たとえ話をしよう。あなたは、中小企業の社長だ。従業員は5人。Aさんは毎日遅くまで働いていて、月の残業が80時間という過労死ラインに達している。ほかの4人の残業時間はそれぞれ月10時間だ。平均すると、(80+10×4)÷5=24で、「残業は月24時間程度、1日1時間くらいなので、うちはホワイトな職場だ」と胸をはって言えるだろうか? Aさんが過労で倒れてしまうかもしれない中、事態は楽観視できないと考えるのが社長の考えとしては自然だし、妥当だろう。つまり、平均値だけ見るのではなく、しんどい人やつらい思いをしている人の状況を重視しなければ、健康経営とは言えない。 こんな小学生にでもわかるような理屈を、中教審・文科省は無視している。しかも自分たちが実施した勤務実態調査のデータもあるのに、わざわざ教員統計調査のほうをもってきて記述している。