ミャンマーのスー・チー氏はどんな人? 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
●復活
2008年、軍政は1988年のクーデターで停止されたままになっていた憲法を改正し、国民投票を経て成立しました。これが現憲法で国会議員664人のうち4分の1は軍人議員で、改正には4分の3以上が必要としました。軍が気に入らない改正案は成立できなくしたのです。また家族に外国籍がいる者は大統領になれないという縛りも設けました。スー・チーさんはこの時点で夫とは死別していましたが、子ともはイギリス国籍で、事実上、彼女が就任できないようにする条項と思われます。 こうした安全装置を用意した上で10年には選挙を実施して民政へ移管すると発表し、軍政と表裏一体の「連邦団結発展党」(USDP)が圧勝した後に、スー・チーさんの軟禁を解きました。USDPを作ったテイン・セイン氏が翌年大統領に就任。当初は「軍服をスーツに着替えただけで何も変わらない」と冷ややかに見られていました。 ところが就任後、経済の開放や政治犯の釈放、選挙に国際監視団を入れるなど矢継ぎ早の改革を行い、アメリカなどの経済制裁を緩和して「鎖国」状態から一転して地下資源も豊富な人口5000万人を越える有望な市場としておどり出ました。その一助となったのがスー・チーさんの軟禁状態の解除と政治活動の再開だったのです。 新憲法に反対ながら12年の補欠選挙で当選して国会議員となったスー・チーさんはNLD党首として15年の議会選挙に臨みました。勝っても党首が大統領になれないから伸び悩む材料であろうともくろんでいたUSDPの目算は大きく外れ、軍人枠を含む664議席(うち7議席が投票中止)の過半数になる333議席を大幅に上回る地滑り的勝利を収めました。 一方のUSDPは42議席と惨敗。軍人枠166を加えてもNLDには遠く及びません。テイン・セイン氏の改革は評価しても、それまで長く続いた軍政への嫌悪感が有権者のなかで勝ったのでしょう。
●今後は?
さて今後の展開です。まず大統領が誰になるのかですが、恐らくスー・チーさんが選んだ者でしょう。NLDは彼女の圧倒的な人気で支えられてきた一本足打法の政党で本人も「(大統領の)上に立つ」「私がすべての決定を下す。大統領には何の権限もない」と言い切っているのを不安視する向きもあります。文字通りに取れば新政権はスー・チーさんの「院政」となり憲法を無視した体制だと軍につけ込まれる危険があります。応援してきた欧米も、問題ある憲法下とはいえ「院制」は支持できそうにありません。 発言の真意は08年憲法の改正にあると擁護する声もあります。あつれきを生むか軍との融和を果たして改正へと持っていけるかが腕のみせどころです。 意外とうまく行くのではないかという楽観的観測もあります。考えてみればテイン・セイン氏も初めはこんなに改革できると誰も思っていなかったのに成し遂げました。だから新大統領も現時点で無名でもスー・チーさんと軍のバランスを保ちながら運営できるのではないかと。 国内外で最も重要なのは経済です。スー・チーさんは選挙中「報復はしない」「抑圧してきた人たちとさえ協力する」と発言していました。アパルトヘイト(人種隔離政策)で抑圧されてきたにも関わらず、大統領になっても報復しなかった南アフリカのネルソン・マンデラ氏のように、前政権の産物でも良いところは継承して不要な摩擦を生まないようにしないと、09年に政権を奪取した日本の民主党のように政権担当能力がないと国民から見捨てられる可能性もあります。 幸か不幸か新しいNLD政権は運営面で軍と協力せざるを得ません。4分の1の軍人議員と小さくなったとはいえ数十の議席を持つUSDPと話し合わなければなりませんし、憲法は安全保障や治安維持に関わる国防・内務・国境の3大臣を軍が選ぶと定めています。いわば最初から軍との連立政権のような形にならざるを得ず、どちらかが孤立感を深める結果にはならないだろうとの見立てです。 その名を世界に轟かせてから四半世紀以上になるスー・チーさんの動向から今後も目が離せません。
--------------------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】