映画『パスト ライブス/再会』:時間と空間を超える愛、セリーヌ・ソン監督が語る
愛すべき「男らしさ」
もうひとつの演出的戦略は、ヘソンとアーサーが初めて顔を合わせるシーンの撮影まで、演じるユとマガロを本当に会わせなかったことだ。2人はリハーサルの段階から別々に準備をおこない、その両方にノラ役のリーが参加するというスタイルが採られた。マガロも台本を読み返す際、ノラとヘソンのシーンを読まないように気をつけていたという。 ソンは「リハーサルのたび、グレタには一緒に演技をした相手の俳優のことを、もうひとりの俳優に話してもらいました」と話す。この作戦はみごと効果を発揮し、ユとマガロはお互いへの競争心をうまく抱くことができたそうだ。 ただし、この映画は単純な三角関係をめぐるラブストーリーではない。本作を「大人になるために最善を尽くす3人の物語」と形容するソンは、ヘソンとアーサーを、繊細ではあるが冷静で思慮深い男性として描いた。 「ヘソンとアーサーは、それぞれノラの異なる部分を知っています。愛するノラをより深く知るための鍵が、自分ではなく相手の男性であることもわかっている。お互いに自分が知らないことを相手が知っている状況ですが、彼らが怒りや嫉妬心をあらわにすることはありません。むしろ2人そろって、愛する女性の知らない部分を知ろうとするのです。 私はこの物語で、男女にかかわらず自分が好ましく思える人物像を描こうと思いました。時に“男らしさ”は野蛮さで語られますが、私にとっての“男らしさ”は愛すべきもの。自分の弱さや思いを横に置き、大切な人に寄り添えることも“男らしさ”です。他者を深く思いやり、相手をケアする男性は、たとえ世界を救わなくとも日常レベルのヒーローだと思います」
永遠のような2分間
映画のクライマックスには、ヘソンとノラがUberの車をただ待っている場面がある。「“時間”とは主観的なもの。時にはたった2分間を永遠のように感じる」──そう語ったソンは、脚本を執筆した段階から、車が到着するまでの時間を「2分」と決めていた。 「実際に2分間がどれほどの重みをもつのか、脚本の時点ではわからず、またわかりたくないとも思っていました。やはり、大切なのは“時間”の矛盾なのです。2分という時間を、長すぎるようにも、また短すぎるようにも感じてほしかった。撮影現場では私が車の合図を出すことになっていたので、そのタイミングは自分にしかわかりませんでした。結局は、私自身も自分の感覚を頼りにするしかなかったのです」 観客が味わうのは、映画にこめられた沈黙と静寂の力だ。ソンは「沈黙もまたコミュニケーションの手段。感情のつながりを表現できる、最も強力な言語のひとつ」だといい、「脚本の全編に散りばめた“沈黙”と“リズム”を守り抜くことを大切にした」と話す。 「私にとって、映画とは音楽のようなもの。つねに時間に基づき、感情を含むすべてが音楽のように流れてゆくべきだと考えています。けれども時間と同じで、沈黙や静寂もまた主観的なものです。だからこそ観客は、沈黙を気にかけ、息を呑みながら見つめてくれる。そして、その沈黙について語ってくれるのだと思います」 ソンが究極的に目指したのは、現実と同じように時間と沈黙の重みを感じられる映画だった。「ノラとヘソンにとって、その“沈黙”はなんだったのか、どんな意味があったのか。最後には観客の皆さんにも伝わると信じています」 取材・文:稲垣貴俊