頭にこびりついた「打てなくなるぞ!」 抜け出せない不振、“助長”した助っ人の言葉
対戦した“最強投手”は岩隈…直球も変化球も「ピンポン球かっていうボール」
その時のことを天谷氏はこう明かす。「最初は(野村)監督に『明日いけるか』と言われて『行けます』と言ったんです。そしたら「わかった、じゃあ、明日はちょっと早めに球場に行くぞ」って。室内でバッティングしたんですけど、痛くて……。1球、打った時点で監督に『よし、抹消だ』って言われました。『その心意気は買うよ。10日やるから、治して戻ってこい』って」。その通り4月23日に1軍に復帰。だが、打撃の状態はなかなか戻らなかった。 4月28日の横浜戦(マツダ)では1試合4盗塁を記録したが、「それは今だから言えますけど(投手の)寺原(早人)に癖があったんです」という。「もう言ってもいいですかね。首が落ちればGOというものです。あの時、フォアボールとヒットで出て二盗三盗、二盗三盗なんですよ。それは今でも覚えています」。日南学園時代から注目を集めた剛腕・寺原とは同い年。「寺原は特別な存在でもありました。我々は寺原世代ですから」と、より研究した成果でもあったようだ。 5月29日の楽天戦(Kスタ宮城)では岩隈久志投手からシーズン3号アーチを放ったが「それもホントにたまたまで、運もよかったと思う」と話す。「僕は『今までで一番凄かったピッチャーは誰ですか』と聞かれたら『岩隈さん』って言っています。スライダーもフォークも、もうピンポン球かっていうボールなんですよ。卓球でスマッシュされた時の感覚。ズボーンってくるイメージ。それがストレートだけじゃなくてですよ。スライダーもフォークもスパ、スパ、スパ、って」。 そんな中での一発を天谷氏は「(球種)全部を追っかけたら無理だから、初めてです。最初で最後、ストレートで1、2、3でいいやと思って、1、2、3で打ったらホームランになりました。じゃないと打てないと思ったんですけど、それもたまたまですから」と説明する。実際、大投手からの本塁打も復調につながらなかった。スタメン落ちも増えてきた。調子を取り戻しはじめたのは8月以降。有名なホームランキャッチはその時に飛び出すことになる。
山口真司 / Shinji Yamaguchi