「おニャン子クラブ」は学業優先、番組制作スタッフが家庭教師だった いつまでもアイドル・渡辺美奈代が語る「夕やけニャンニャン」の意外な舞台裏
1985年に放送が開始された、伝説のテレビ番組「夕やけニャンニャン」。番組から誕生したアイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして活躍した渡辺美奈代さんに、爆発的人気で一世を風靡した当時の様子を伺いました。(全4回中の1回) 【画像】「ツインテールがかわいい」高校の制服姿やあどけない当時の貴重なプライベートショット満載(全33枚)
■応募書類は締切が過ぎていたけど ── まず、芸能界に入ったきっかけを伺えますか? 渡辺さん:中学を卒業して高校に入るまでの間「何か習うことができたらいいな」という気持ちで、地元・愛知県にあるタレント養成所のダンススクールに履歴書を送ったんです。締切が過ぎていたことが後日発覚するのですが、スクールの方が連絡くださって「もしよろしければご両親といらっしゃいませんか?」とお声がけくださったんです。
養成所に入って数か月の間におニャン子のオーディションを受けることになり、そこからはあれよあれよという間に東京に行くことが決まりました。 ── 東京へ行くことが決まったとき、ご両親はどんな様子でしたか? 渡辺さん:母は何も言いませんでしたが、父は少し反対していましたね。「東京は危険な場所」というイメージが漠然とあって、親族もいない東京に田舎育ちの娘を出すことに不安があったようです。 オーディションは「まさか受かるわけがないでしょ?」と誰もが思っていたので、決まってからは時間がなく、バタバタでした。両親も何が正解かわからないまま娘を東京に送り出してしまった、という感じだったと思います。
私はただただ嬉しいだけで何の不安も感じず東京へきた感じでしたね(笑)。昔から松田聖子さんにあこがれていたのですが、まさか自分もアイドルになれるなんて思ってもいませんでしたから、デビューが決まったときは現実味がありませんでした。
■おニャン子クラブは「学校が優先!」 ── 1985年に放送が開始された、伝説のテレビ番組「夕やけニャンニャン」からアイドルグループ「おニャン子クラブ」が誕生しました。そんなおニャン子クラブのオーディションコーナー「アイドルを探せ!」で見事メンバーに選ばれた渡辺さんですが、まさにグループが爆発的な人気を集めていたころ、どのような日常を過ごしていたのですか?