中江有里さん、控室でずっと本を読んでいた歌手デビュー当時「どこにも自分の居場所がなく…」
ガチガチな新人歌手だったわたし
新人歌手は新曲を出す度、キャンペーンと称して地方のテレビ局やラジオ局、新聞社を行脚する。 わたしが歌手デビューを果たした18歳の頃、ある地方イベントで同期の歌手の方々と一緒になる機会があった。 用意された控室は大きめの部屋がひとつ。全員ここでメイクや着替え、食事を済ませる。 わたしは部屋の入り口の椅子に座って、誰とも話さずに本を読んでいた。 「あの子、感じが悪い」と思われても仕方ない。いや、思われていたはず。 「あんた、めちゃくちゃ感じ悪いわ」と自分に言いたい。 あの頃の自分を擁護すると、人と話す余裕が一切なかった。 どこにも自分の居場所がなく、本の世界に逃げ込むしかなかった、 そんなガチガチな新人歌手だった。 三浦しをん『格闘する者に〇』は著者のデビュー作で、主人公の大学生・可南子が突入する過酷な就職戦線の物語。 連戦連敗、内定はゼロ。しかし彼女は自分自身を俯瞰している。語り口はユーモラスで、悲壮感はあまり感じない。 デビュー作と思えない伸びやかな文章で、友人たちのキャラクター、年上の恋人とのエピソードなど、細部にわたって読ませる。 小説としての魅力は多々あるが、不定期にこの本を読み返したくなるのは別の理由がある。 わたしは就職活動というものをしたことがない。 15歳で芸能界に入った後、数えきれないオーディションという関門は潜ってきた。 半年くらい先の仕事の目途はつくけど、その先はわからない生活を30年以上続けている。 不安定な世界で、頼れるのは自分しかなかった。心折れそうな時もある。 その度、書棚に並ぶ『格闘する者に〇』というタイトルに手が伸び、読みふけった。 まるで深夜に昔のアルバムを見直すように。 いまも格闘している自分を鼓舞するために。
前を向いて挑むしかない
ファームで格闘する選手たちも、誰だって力を尽くしている。 だけどこの中から1軍に呼ばれる者がいて、そうでない者がいる。 呼ばれる理由は実力以外にも、1軍の強化方針やけが人発生などのチーム事情だったり、運だったりする。 そして今年中に、何名かはチームを去っていく。それがプロの世界。 夢を見た世界は決して楽じゃない。可南子は立ち止まったらそこで終わる、とわかっているのだ。 高みを目指し、泥だらけで闘う選手たち全員に心から〇を送りたい。 闘いに挑み続ける姿勢がなければ生き残れない、本と野球がそう教えてくれた。
朝日新聞社(好書好日)